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Yuigo・ん・・・湿っぽい

最近の話題はラジオ。賛否のど真ん中を行く性格です。

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【雑】私たちはフォントに支配されている!!!


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 今日はフォントの話を軽くします。軽く、です。

 とは言っても、Web上にフォントにまつわる専門的な記事、魅力的な記事は溢れているので、私はそういったものは書く必要はありません。なので、簡単に私がフォントに対して思っているいろいろなことを好きに書いていきます。

 

 やっぱり、多くの人は「フォント」に支配されているのだと思います。フォントが抱える意味、雰囲気を、私たちは無意識に受け入れているのです。それがフォントの役割、効果であるから、当然ではあると思うのですが。

 中学生だったかそんな時期に、美術の授業でカリグラフィに触れる時間がありました。明朝体とゴシック体のそれぞれでたくさんの文字が書かれた本があり、その中から好きな漢字また平仮名、片仮名を選び、自らの手書きによってお手本を写していく、という授業だったのですが、この作業のポイントとして、まず「明朝体とゴシック体のどちらを写すか決める」という大切な分岐があります。どっちの書体を書き写したいか、ということです。

 私が見た限りでは、ほとんどの生徒が明朝体で漢字を選んでいました。これはなぜなのか、ということを、その頃からは数年たった今ですが、大真面目に考えてみようと思います。

 これは、「美術」の時間において、カリグラフィを自分で書き写すことによって学ぶ、という授業でした。なので、生徒は無意識のうちに、美術の作品を作ることを念頭に置きながら、課題を選択して、作業を進めていたはずです。いやいや、文字を書き写すだけでしょ、と思ったひともいるかもしれません。たしかに、わたしの朧げな記憶の中でも、なんだこれ写すだけじゃねーか、とかなんとか、そのような声はあったような気もします。でも、美術の授業で、適当にやると宣言しておいて、本当に適当に完成させる人って滅多にいませんよね。頭の中ではどこかで、自分のできる限りにおいてイイモノを作りたい、イイ作品を作りたいと思っているはずです。その無意識下の感情によって、個人の頭の中で「美術的に考えて、いずれの書体を選択すればイイ作品が出来るか?」という問いを立て、その答えが課題として設定されます。

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(小塚ゴシック)これを使えば間違いはありません。f:id:m4usta13ng:20140301033103j:plain

(小塚明朝)明朝体は紙の上で大活躍します。

 この思考過程を経て、おおくの生徒が明朝体を選択したということに、大きな意味があります。明朝体は、ゴシック体と比べて芸術的な書体であると、生徒たちは認識しているのです。

 また、もう一つの理由として、明朝体は描いていて楽しい、ということを挙げることができます。明朝体には、見てお分かりのとおり、約束事がいくつかあります。横線と縦線のウエィト(太さ)の違い、定型化している「とめ・はね・はらい」のつくりかたなどの決まりごとは、描き始めた最初は理解できませんが、そのルールが分かっていくとスラスラと描けるようになり、その面白さがわかってくるようになります。

 余談ですが、電車のディスプレイの一部は、明朝体のルールが適用されているものがあります。京浜東北線や山手線のように、映像も流せる最新の画面には関係のない問題ですが、細長く文字だけを移す電光掲示板の文字には、その解像度は荒く、決して綺麗なものではありませんが、あの独特なはねやはらいが表現されていることがあり、日本文化の明朝体に対する親しみを感じることができます。私からしたら、どう考えてもハネなんかつけずにゴシック表記にしたほうがすっきりしていて良いと思うのですが。

 なにより、明朝体のほうがゴシック体に比べて、出来上がりの壮観さが大きい、個人的には思っています。このように、自分で描く際に明朝体が魅力的になることに対し、ゴシック体は、描く書体というよりは見るための書体、という感覚を持っています。ゴシック体の特徴は、欧文書体のサンセリフ体とも同様ですが、とにかくニュートラルな印象を与える、つまり「印象がない」という印象を与える、ということにあります。文字のほとんどの部分が同じウェイトになっているので、中性的であり、絵や写真がメインの広告であれば、そのメインディッシュの邪魔をせずに、宣伝内容を記載することができます。

 ここでも補足をすると、ゴシック体のウェイトは、実は微妙に違っています。小文字の「b」における円の左右では、少しだけ線の太さに違いが見られていて、少しでも可読性を増そうと、カリグラフィの専門家が苦悩した跡を見ることができます。

 

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 (Helveticaサンセリフ体の例です。ウェイトはすべて同じではありませんが、様々な場面で用いられています。

 

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 (Times New Roman)セリフ体の例です。その名のとおり「Times」などで使われています。美しい・・・

 そのため、作り手が見た人自身に解釈を委ね、感想や感動の具体化を任せる場合は、ゴシック体を用いることによって、出来るだけ固定観念を作らない、という作戦を取ることができます。・・・とはいっても、このニュートラルな性格は、現代では明朝体にも当て嵌る面が大きいと思われます。なので、中性でない書体として、多くのフリーフォントの存在を指摘することができます。フリーフォントとは、パソコンに最初から入っているものではありませんが、無料でダウンロードすることによって使用が可能になるものです。(ちなみに、フリーフォントで作ったパワーポイントなどは、自分以外のPCで表示するとき、互いのPCに該当するフォントをインストールしていない限り、表示することができずに文字化けしてしまうので、PDFにする、画像化スライドとして保存するなど、各種の対策をしてください。)

 フリーフォントの多くは、とても特徴的で個性のつよいものが多いです。「妹フォント」「たぬき油性マジック」「しねきゃぷしょん」など、その種類は枚挙に暇がありません。また、高速道路の標識を再現する「GD-高速道路ゴシック」といった、現実にあるものを題材にしたフリーフォントも存在し、これらはパロディによって笑いを誘うために最適な方法と言えます。

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(しねきゃぷしょん)レトロな映画を彷彿とさせます。

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(たぬき油性マジック)マジックの「極太」で書くと、このようになります。読みやすいために、ファシリテーターの書体ともいえるでしょう。

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(GD-高速道路ゴシック)独特のゴシック体ですが、遠くから見た時にわかるような工夫がなされています。

 先ほど挙げたゴシック体や明朝体と違い、個性のつよいこれらのフォントは、見る人に固定化した感想を与えることができ、また、「ほかの人は滅多に使わない」ので、手の込んでいるように感じさせることができます。しかし、ときに、この固定化は、行き過ぎると「押し付け」につながってしまうこともあるので、注意しながら使うことが求められます。また、街中の広告の殆どはニュートラルな書体によって構成されていることから、フリーフォントは用途が限定的であり、汎用性においてこの二者を上回ることはない、と考えられます。

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(美咲ゴシック)特殊なフォントです。ファミコンなどを思い出させます。

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(自由の翼フォント)あるアニメで使われたらしいです。私はそこまで詳しくないので・・・

 

 今回は、中学時代にあったカリグラフィの授業を思い出しながら、フォントの意味と役割について考えてみました。脱線もしつつ話しましたが、私は、人間は常に書体に支配されながら生活している、と考えています。書体に支配されている結果、多くの可視メディアはそれぞれ決まった書体で作られています。新聞や小説であれば明朝体、Webはゴシック体がほとんどです。このように役割分担がされていることにも意味があると考えています(ディスプレイの解像度では、ゴシック体が望ましいですね)。身近に使われているものが、なぜこの書体なのか、と考えてみると、意外と簡単にそれらしい答えに辿りつくことができます。それが正解かはわかりませんけれども。

 最後に、フォントを学んでいくと、楽しくなっちゃってひとつの広告やスライドにたくさんの種類のフォントを積みたくなりますが、これは絶対にやってはならないことです。とても見づらく、それはまるで女子中高生向けのファッション雑誌のようになります。つまりムダが多いということです。ファッション誌って基本ムダの山によって構成されているものですが・・・。

 

 というわけで、ここまでとくに考えせず書き上げました。ちょっと説明がわかりづらいかもしれませんね。ということで、また次回。


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