Yuigo・ん・・・湿っぽい

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【雑】自分なりの答えを。

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 こんにちは。ぞ!です。

 今年に入ってから見た二つの映画のテーマがなんとなく共通してるなあ、と思ったので少しだけ書いてみようと思います。

 (ネタバレは決してしません!というか、映画のタイトルさえ出さないので、安心してください。)

 私はそこまで映画が好きで沢山見ている、という人間ではなく、多くても年に「片手で数えられるくらい」の本数で収まります。テレビ、DVDを含めても、です。そんな私ですが、縁あって今年は二本、映画館のスクリーンで見ることができています。全く別の映画であり実はこんな関係が・・・というものも全くないのですが、両作品にどこか共通したものを感じました。

 

 

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(若いからこそ考えられることがあると思います。)

 

 それは、「既存の〈答え〉を疑い、自分なりの〈答え〉を、回り道ししてでも導き出す」こと、というメッセージでした。両映画とも、主人公の前には、そして観客である私たちの中にも、その業界、固有の世界に対する厳然たる常識が、冷たい顔をして存在しています。主人公は、訳あってその世界に別のところからやってきた「渡来人」であるから、その常識に対して純粋に疑問や、不満を顕にします。しかし、多くのものにとってはそれは不思議な感情、奇妙な感情、といった風に整理されてしまいます。そして、多くのものは、住み慣れた社会に対して共通の「常識」、さらに言えば「答え」を持っているのですから、彼らは、(主人公から見れば)恐ろしい程冷たくその現実を受け止め、目の前におこった出来事を仕分けしていきます。

 しかし、主人公はそんな常識を知りませんし、知ったところで彼は「渡来人」でありますから、その「正解」は本当に正しいのか?という、その世界にとっては新鮮かつ鋭すぎる疑問を発信します。そこで、物語でいう「転」の部分が始まっていくわけです。

 映画はおおむねハッピーなエンドを迎えるわけですが、主人公は、「渡来人」としてやってきた世界では、純粋に自分なりの答えを探すことができていましたが、元いた自分の世界では、多くの他人と同じように、大きな壁のように立ちふさがった教科書のような「常識」に対し、何ら疑いを持たず対面していたことに気付かされます、自分自身の行動によって、です。この問題に対して、彼はどのような答えを導き出すかは、また別のお話で・・・、ということになるのですが、私は、人生におけるかなり基本的なテーマを両映画に見出したわけであります。

 私たちは常識に対し、その理由を「常識だから、常識だ」という捉え方をしていないだろうか?ということです。そして、その壁に立ち向かえるように、若者は若くある、のかも知れません。

 

 

 

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