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【雑】生き生き、つまり二回生きること_西村佳哲『なんのための仕事?』


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訪問ありがとうございます。

 

ゼミの課題という目的も兼ねまして、読書をする機会が最近になってなお一層ますことになりました。

とくに、前々から「はたらく」とか「お金を稼ぐ」という生活の大部分を占める行為に対して、一般的な感覚を取り入れることが、自分にはちょっとできないな、批判をするわけではないのだけど、自分の感覚とは異なっている、このどこかモヤモヤした状態を救うために、個人的な活動をしている部分があります。

私が参考にしているひとが、西村佳哲さんというかたで、デザイナーというところに基準を置きながら、「働き方研究家」としてワークショップをしたり、インタビュー活動、執筆など幅広く、柵を構えずに生きている、尊敬する方がいて、私はこのひとと同じように生きるわけではないけれど、どこかその精神を自分のなかでも表現したい、と考えています。

これまでも、何冊か読んでいるのですが、今回は、河出書房新社から出版されています『なんのための仕事?』という本を読みました。

 

 

なんのための仕事?

なんのための仕事?

 

 

私たちは常々、仕事をしている自分としていない自分、趣味に興じたり家族と接する自分を使い分けているように感じてはいないでしょうか。このブログでも何度か言っているのですが、学生にしたって、学科の仲間、サークルの仲間、学生団体やアルバイト先、さらには地元の仲間など、その環境・接する人間によって自分自身を使い分けている、つまりはチャネルを使い分けている印象があります。複数のコミュニティが重なった時に、私も、(いつもの場所とは)印象が違う、性格にしたって違うような気がする、という言葉をかけられたことがあります。

このような具合に、しごとをしている、働いている自分は、家にいる自分とは異なっている、ということが当然のようになってはいないだろうか、ということが、読んでいるうちに、私のなかに思い起こされてきたのです。

 

 

 

しかし、この本で紹介されているひとびと、そして西村さん自身は、生きていること、はたらいていること、様々な場面にいる「自分」が一貫している、どの場面においても同じ自分として生きている、チャネルはたった一つで立ち向かっている、このような生き方をしていて、それはすごく羨ましい。

ひとによってはとても忙しそうで、ワークライフバランスの考え方からすれば問題を感じてしまいそうになるのですが、かれらに関しては、それを是としている、なぜなら、ひとつのチャネルしかもたない人間として生きているから、という感想を持ちました。

 

 

 

はたらくということに関する世界の現状に対して疑問を投げかけるのが基本的な姿勢ですが、西村さんの文章はとにかく暖かい。良いことを言っているのにどこか刺刺しくて受け入れたくなくなることがあるが、この文体が書けるということは大切なスキルだな、と、本筋とは関係ないのですが、西村さんの作品を読むたびに感じてしまいます。

 

この本の登場人物たちから感じるのは、ひたすらに強い生命力です。西村さんは第一章において、

「生き生きとした…という言葉には『生』が二度登場する。……日常の中で、さらにもう一度生きる、あるいは生まれ直す。そういう瞬間を、『生き生き』という言葉で私たちは捉える。」

という形で生きることに関しての、生活を重ねることに関しての理想を語っていますが、後のインタビューで出てくるひとびとが、まさに「生き生きて」いるひとたちなのです。それぞれ、大きな組織から離れたり、比較的小さなコミュニティで生きていたり、成長の前線には興味がなかったり、一般的感覚とは異なっているのかもしれませんが、実際に関わっている「しごと」には、どうしてか特別感を感じません。それが、もしかしたら生きていることとはたらいていることの一致なのかもしれない。

さまざまな反応を読者のなかに生み出すのが西村さんの魅力なのであると思います。

また、西村さんはファシリテーター、ワークショップの担い手としても活躍を続けている方であり、今後も度々参考にさせていただくことになるかと思います。

 

 

読んでくださりありがとうございました。


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