Yuigo・ん・・・湿っぽい

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【雑】(日記)やりたくない仕事①


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訪問ありがとうございます。

 

ぞ!です。

前日は長めの文章を久しぶりに書かせていただいたので、今日はまた短めにまとめようと試みています。

 

*  *  *

 

やりたい仕事を探さなくてはならない、というのがこの時期の大学生には大きなプレッシャーとして立ちはだかっている。自己分析を通して、私は私を全て知っているのだ、という状態で就職活動に臨むということがこの社会の前提とされているフシがあるが、これが達成できている学生というのは一体どれほどいるのだろうか。そういう人間を探すこと自体、砂漠の砂を掴むような話にも思えてくる。掌に残るのはほんのわずかにしか思えない。実際、就活に参加する学生の誰もが自信に満ち満ちていたとしたら、この儀式は更に異様さを増すことだろう。新興宗教のビデオ映像を観ながらほくそ笑むことができるのも、あと少しのことになるかも知れない。

 

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(※このように物思いに耽る、という綺麗なものでもないというのが、この時期の「自己分析」である。)

画像著作者:frans

 

そんなこんなで、改めて、自分のやりたい仕事を探す作業というのは並大抵のことではない。それができる人間というのは、その時点である程度の勝利を約束されていると言っても過言ではないだろう。スポーツ選手は、その意味ではとても早熟であると判断することができる。こうして自分に対しての絶え間ない、そして釈然としない会話が繰り返され、意味のあるように見えない議事録が溜まっていっているのだが、自分のやりたい仕事、職業というゴールにはなかなかたどり着くことが出来ないのとは裏腹に、自分のやりたくない仕事は毎日のように思いつく、そんな、世界有数の非効率な消去法が頭の中で行われているのである。

 

コメンテーターという、頭の成長が止まってしまいそうな仕事について。

 

ニュース番組、とりわけワイドショー形式をとっているニュース番組に欠かせないのが、各界から集いしコメンテーターという役割の人間である。帯番組であったら一週間のうち曜日によってメンバーが替わり、教養の深さ、話題性、ルックス、人気と、様々な尺度から選ばれたコメンテーターが、様々なニュースに対して短く要領を得たコメントで持ってニュースを「斬る」ことを求められている、というのが仕事の大まかな内容であろうか。

特にコメンテーターの仕事がはっきりしているテレビ番組であれば(民放局の午前8時台番組を想像していただけるとわかりやすい)、テレビという特徴に従ってほんとうに多種にわたるニュースが俎上(そじょう)にあげられている。政治、経済、社会、刑事事件、国際情勢、文化、芸能、スポーツ、さらには生活の知恵を紹介したり番宣をすることもある。

コメンテーターの仕事が割に合わない理由の一つがここにあり、自分の守備範囲ではないニュース、そもそも興味がわかないことについてもそれらしいコメントを返さなければならない、という作業はかなりの負担になるのでは、と思わされる。

また、テレビであれば「尺」、つまり番組の時間制限というものが存在し、ニュース番組は殆どが生放送であるため、瞬時に言葉を返さなければ放送事故として、今であれば動画にされて未来永劫失敗が語られることになるのである。

私はこういうブログをやっている理由として、ひとつひとつの事柄について時間をつくって考えてから意見を出していきたい、ということを定着化しているので、コメンテーターのスピードにはおそらくついていけないだろう、という感覚がある。Twitterという文化は、何十億人もの人間をコメンテーター養成講座に登録させており、ありとあらゆる立場の人々がそれらしいことを呟いているという現在の状態があるが、テレビのコメンテーターは、この膨大な数のアマチュアコメンテーターに「勝た」なければならないのである。「俺のほうが良いことを言っている」なんて思われてしまうと、コメンテーターがその席に座っている意味はなくなってしまうのである。その絶え間なく、かつ相手の見えない勝負の連続は、結果的に、抽象的で、うまいことをいっている(ようにきこえる)コメントを、新しく考えるのではなく、今まで蓄えたものを箪笥(たんす)から引っ張り出す、という創造的とは言えない作業堕落させることを強制するのではないだろうか。

深夜に放送されているNHKのニュースでは、コメンテーターももちろん喋るが、大部分のコメントは番組に寄せられたTwitterコメントに任せている。コメンテーターは、Twitterからピックアップすることによってもコメントの代用、とすることができるのである。

コメンテーターの舞台であるワイドショーに眼を向ければ、ワイドショーがすでに速報性を失っている、という点でもはや魅力に欠けている番組スタイルとなっている。最近話題になっている、都議会での女性蔑視とみられるヤジが飛んだニュースについても、ワイドショーが繰り返し音声を分析しているのに対し、ネットの興味はヤジをぶつけられた女性議員のこれまでの言動や経歴に向かっている。ネットユーザーからすれば、ワイドショーの歩みは明らかに遅く、「もういいよ、それ」と言われてしまうだろう。ワイドショー自体がネットに疎い視聴者を対象にしているのであれば頷けるが、曖昧な姿勢をとり続けているため人員・ノウハウ不足と見ることもできる。もちろん、コメンテーターはこの差を知っていたとしても、口にそれを出すことは許されないのである。

うん、この仕事は割に合わないな、と結論に至った。こんな調子でやっていたら、それこそ非効率な消去法である。

 

 

*  *  *

 

 

読んでくださりありがとうございました。


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