Yuigo・ん・・・湿っぽい

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【雑64】ほら今、合宿中だし~いつか書こうと思っているテーマを何個かつらつらと~


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訪問ありがとうございます。

 

雑投稿もなんと64回を迎えました。10の倍数より、64ってある意味キリがいい数字なんじゃないか、ということを思っていたりします。

 

今日も記事を書くぞー、なんて思っていたんですが、今、大学でのちょっとした合宿中なんですよ。ということで相当各時間がない。最近はやっぱり記事を溜めていない。ということで、書くのめんどくさいです。でもブログしたい。アンビバレンスも甚だしい気持ちに苛まれています。

 

という訳で、これから書いていきたいと考えているけど、書きたいという気持ちが強すぎていざ書くという気になかなかなれないテーマを何個か書いていきます。

 

 

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①「性別という概念がいずれ崩壊するから、『男』『女』という言葉を消しちゃおう」

 

セクシャルマイノリティの認知度やカミングアウトのハードルがどんどん下がっていき、恋愛関係や性別観というものがついには人の数だけ無数に定義されるようになり、性別を表す上で最も代表的で、私たちが今当たり前のように使っている「男」「女」という言葉はあまり意味を成さなくなってくる、とかいう社会が想定できるのではないでしょうか。

私の考えでは、様々な書類やアンケート、入力フォームの「性別記入欄」が、「男性/女性」という二者択一から、「男性ーーーーー女性」という数直線が書かれている表に変わっていて、人々は自分の性別観に従って、数直線上の位置を自由に決めてマルを付ける、という形式に変わっていくのではないか、というものがあります。

そして、初めは多くの人が両端のいずれかにマルを付けるのですが、個人個人の自由なジェンダー観が広まるにつれて、様々な位置に自由にマルを付け始め、いずれ、端っこにマルをつけていくひとはいなくなるのではないか、という妄想までしています。

私自身について考えてみても、男性ではありますが、100%男性ではない、ということは自分でなんとなくわかります。しかし、なぜそう言えるのか、ということを説明するのが難しい。困ってします。セクシャルマイノリティの人たちは、こういった問題に常に向き合ってきたということなのでしょうか、と考えるとスゴイじゃ収まらない。

この社会を想定する上での問題は、どういう状態が数直線上の「男」に寄っていく要因になり、その反対に、どのような状態なら「女」に寄っていくのか、ということを考えてしまうと、どのようにしても既存の「男らしい/女らしい」というステレオタイプ的な考えに行き着いてしまう、ということです。パラドキシカルな状況なので、これに関してどのように説明をすればいいのか、ということがなんとなく決まってくるまでは、このテーマを進めることができないなあ、という悩みに陥っているのです。

 

 

 

 

②「ぱくたそ」はなぜ人気なのか、ということを考えると、「フリー素材なのにアイデンティティがある」という理由に行き着く

 

私はできることなら、フリー素材の配布サイトでお馴染みのぱくたそに入社したいのですが、ぱくたそって会社じゃないみたい、と気づいていから私の就職活動は難航しています。

そんなことはどうでもいいのですが、ぱくたそってなんで人気なんだろう?ということを考えてみると、「フリー素材なのにキャラが濃い」という理由に行き着く、というテーマです。

フリー素材のイメージとしては、より多くの人に様々な用途で使ってもらうために、当たり障りのない、色んな場面で使えそうな風景、人がいたとしてもそれは誰かわからない、誰が撮ったという情報はあまり重要ではない、という「アイデンティティの薄さ」が魅力になっている、ということを考えることができます。

しかし、ぱくたその写真たちは、もちろん風景やテクスチャ(背景)写真も用意されている優秀なサイトですが、ただ「お利口」なだけのサイトではなく、多くの人がどっかで見たことある人物が様々な動作をしていたり、時事ネタのポーズを取っていたり、という「キャラの濃さ」という、本来フリー素材には無い方が好ましいもので構成されています。

 

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今流行りの壁ドン(ロマンチック版)。どこで使うんだろ、ということを思ってしまいそうですが、あなたがそんな思いを持ったら、ぱくたその勝ちなのかもしれません。

 

この人気の秘密を更に探りたい、と考えているのが今の状況です。人気の理由には、ダウンロードやコピーのし易さ、サイトのデザインが見やすいなどの面も関連しているそうです。やっぱり就職したい。あわよくば私をフリー素材にして欲しい。

 

 

 

③「もうファッションを見て『異性』という立場から可愛さを測ろうとするのはやめよう、という決意」

 

こんなツイートを見て、ハッとさせられてしまいました。

 

 

こういう風にセクハラめいた感情を持たないつもりできたけど、正直言うとやっているなあ、と反省しました。

ひとはファッションを気にするとき、私は他人を気にしているのですが、次元の高いファッションに関する意識を持っている人々は、恐らく自分のためにファッションを作り上げているのだろうな、ということです。

私がブログによって自分を鏡に映すように見ていることに対して、自由に、ファッションに気を使う人々は、服を着ることで自分を文字通り「鏡に映して」いるのだ、ということです。

だから、ちょっと変わったファッションのひとは見かけますが、それは「異性から見て可愛くない変なファッション」ではなく、「服によって自己表現に挑むひと」という見方にシフトしていく必要があります。誰かが歌で、絵で、仕事で表現するなら、彼らはファッションなんだろう、それだけの違いなのかもしれません。

恐らく、私みたいなファッション無関心層に限って人の目をチラチラと気にしてしまうんだろうな、ということを書きたい。もっと丁寧に。

 

 

 

④「源さんも言ってたし、やっぱり蛭子さんは世界が求めていた人材なんじゃないかって思う」

 

尊敬する星野源さんが、エッセイの中で「(タレントの)蛭子さんのような、空気の読めない人が必要なんだ」ということを言っていたことが脳裏に焼き付いています。

蛭子さんはとにかく空気が読めなかったり、え、そこでそんなことを言っちゃうの!?というエピソードを大量に残しています。「路線バスの旅」では最早その姿が人気となっています。コピペもネット上を探せばいくらでも出てくる存在。本当に漫画家なの?と疑いたくなる画力。

彼のエピソードで最も面白い!と思ったのが、真実かどうかはわかりませんが、葬式の会場の雰囲気がなんだかおかしくって笑いが止まらなくなってしまった、というもの。普通なら不謹慎だ!と一括したくなるものですが、よくよく考えてみると(私も不謹慎なのですが)、確かに異様だよな、こういう光景は視点を変えればピクピクピクピクしてきてしまう、そんな独特な世界観を持っている蛭子さんはもしかしたらすごいんじゃないか、いや、ただの変な人なのか。

星野源さん曰く、大統領の演説中に『鼻毛が出てる』とか、いくら格好良い人や威厳のある人でも、『でもこいつ、キ○タマ付いてるんだよね』と思える心は尊重されるべき、とのことでした。やっぱり源さんすごいよ。というテーマ。

 

 

ほかにもいっぱいありますが眠くなってきた。寝ます。

 

書き始めたら楽しいテーマなのですが、いざ記事にするぞ、となると手間が掛かってしまいそうだったり、大事にしたいのでサボれないしでなかなか着手できません。難しいね。

 

 

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さようなら!

 

 

 

読んでくださりありがとうございました。

 

 

ひとりぼっちを笑うな (角川oneテーマ21)
 

 


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