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Yuigo・ん・・・湿っぽい

最近の話題はラジオ。賛否のど真ん中を行く性格です。

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「楽そうだから学級委員になります」と、彼は言っていた【エッセイ11】

真面目風

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訪問ありがとうございます。

 

 

 

*  *  *

 

 

替わりの時期になり、自省する。

 

所属している複数の団体や、周りの団体、サークルなんかで、代替わりなんてことが言われるようになってくるのがこの時期になる。次のリーダーは誰がいいのか、やれそうなやつなんているのか、なんて会話を聴いたりしていたりすると、自然とネットに溢れるリーダー論の記事をおっていたりする。そしてそれは無限に漂っているから、リーダーなんてなんでもいいんじゃないか、という結論に至ったりする。

 

リーダー論の多くは成功した事例を取り上げているから、それが偶然なのか、能力なのか、という分析が曖昧のまま片付けられた場合、それを取り入れるべきか、という判断に困ってしまう。だから難しいし、見づらいものばかり、という分野なのだろう。

 

 

失敗学のすすめ (講談社文庫)

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そんなこんなでリーダー論というのは意味のあるものとは言い難いし、一般化が難しいから他人の事例は参考にならないような気がする。だから、私がこの問題について書くときは、できるだけ一般的にも共感してもらえるように書きたい。という訳で、過去の経験を引き出してみたりする。

 

 

 

 

「学級委員は楽だから―」

 

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学校の6年生になりたての頃だったと思う。まだ周りの風景が馴染まない4月頭の教室、この人たちと本当にちゃんと関わりあえるのだろうか、と思っていた(当時の私は1年に2回ほどはキレて机や椅子を投げたりしてクラスを悩ませていた記憶がある)ときに、新学期の恒例行事が始まる。それが、クラスの係決めだったり、学校の各委員を、クラスから選抜するホームルームである。

 

私の考えは例年、当たり障りのないところに収まって、負担のなく、また、煩わしそうな奴がいないようなところにしよう、……現に煩わしいのは私なのだが、そんなふうに考えていた。そして、この時期は午前中に学校が終わるので、放課後に友達と遊ぶことになれば、いつもの2、3倍は堪能できるぞ、という見積もりをしていたので、空っぽになった机の中をポンポン叩いて音を響かせ、帰りの時間を呼び寄せる儀式的な催しを開いていた。

 

委員を決める中で、真っ先に決めなければならないのはクラスの顔とも言える学級委員である。頭がいい奴、顔が広い奴、運動ができる奴、きっと私立の中学に進むんだろうな、という奴、私みたいな翳(かげ)った考えなんか一つも持っていない、ポジティブな人生を許されたような奴、クラスの誰に対しても気兼ねなく話しかけることのできる奴、そんなスター的な存在にしか許されない場所であることは確かである。

 

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このことは、私が中学の時に何を血迷ったか学級委員長になってしまった際に痛感したことであった。就任した直後に担任から、クラスにはこれこれこういう問題があって、そういうところに気を配って欲しいんだ、ということを言われたが、気を配る、ということの意味がてんで分からなかったため、すぐにこのポストを後悔することになり、結果的にこの称号は高校受験のお守りのような役目を果たすまでに成り下がった。クラスの問題は、出席番号も近かった当時の生徒会長が引き受けていたような気がする。悪いことをしている。

 

こういった面倒事や、学級委員という立場を許してくれる人のキャラがとても限定されている、という感覚に対しては、ほとんどの人が納得していくれる。それは誰もが「スクールカースト評論家」だからである。そして、今回の問題は、その学級委員に、予想だにしない奴が立候補したということにあった。

 

躊躇なく、周りを一旦見回すでもなく立候補したそいつは、勉強ができるわけでもなく、周りの人間からいいイメージを持たれているかというとそうでもなく、運動だって中の下であることは間違いなく、ちょっとしたオタク趣味を持っていて主流の話題には参加せず、(いじめられはしていなかったが)みんなから敵視されることもしばしばあるからポジティブなはずはなく、クラスでは特殊なポジションだから誰とでも話せるということはなく、まあスターというか、むしろヒールに近かったような気のするキャラの男子小学生だった。主観でもなく、客観的にこんな感じだった。そいつが、スっと手を挙げたのである。

 

クラスからは当然のようにざわめきが起こったし、それまで別のクラスだった私もそいつのことはなんとなく聞いていたので、ぐでんと伸ばした上半身を思わず起こしてしまった。常に中立であることが求められる先生でさえも、目を見開いて、直後に行けないいけない、このリアクションはまずい、と冷静さを取り戻そうとしていた様子がありありと伝わってきた。それだけの同様だった。

 

立候補をしたのは彼一人だった。

 

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先生が、恐る恐る彼に対し、立候補した理由を聞くと、そいつは悪びれる様子もなく、彼が持っているだろう、いつもの調子で、「楽そうだからです」と言った。というか、言いやがった。お調子者キャラがこんなことを言ったら、教室全体が吉本新喜劇みたいなズッコケを披露できるのだろうが、そいつがそいつなので、本当に息を呑む音が聞こえてくるんじゃないか、そんな張り詰めた空気が出来上がった。

 

結論から言うと、先生はそいつの立候補を認めなかった。しかし、ダメだ、と言ってしまうわけにもいかず、慎重に、あのな、学級委員っていうのは決して楽な仕事じゃないんだぞ、とはじまり、一つ一つ、細かい作業でも箇条書きのように全て上げていき、私が前述した、クラスのことを常に考えなきゃいけないんだ、とか、後になって嘘だとわかる、学級委員の精神的な負担を重ねて、そいつが「わかりました、やっぱりいいです」というまでそれは続いた。そして、最終的には、クラスが安堵するに至ったのである。

 

私もそうやってホッとしてしまった一人だったが、その中でもうひとつの感情が同時に並行して湧き上がっていた。確かにそうだ、という共感の気持ちである。

 

 

 

級委員というのは、傍から見るととっても楽そうに見えてしまうのである。主な仕事なんて言うのは、朝礼では列の先頭に立ったり、何かにつけて代表して一言述べてみたり、先生の気分次第で仕事が増えたりもする。多分、体育委員や図書委員なんて役職の方が大変だと感じる人の方が多いかも知れない。

 

そんな納得をした私は、もしかしたらこいつは頭がいいのかも知れない、なんてことを考え始めた。ちょうどその頃、私はサッカーのコーチに、「お前はサッカーになると頭が悪くなるな」、というニュアンスのことを言われていたためである、確かに、学校のテストでは100点か95点、というのが当たり前だったが、サッカーになると、どこに走ればボールがもらえるとか、どうすれば相手の攻撃を遅らせることができるか、と言った技術や戦術が全く理解できなかった。ディフェンダーだったときは訳も分からず最終ラインをいたずらに押し下げて、相手の裏抜けを簡単に許す要因になっていたことが多かった記憶があった。とにかく、サッカーに関しては50点も満足に取れなかったのではないか、という感覚があった。学校にサッカーのテストがなくてよかった。

 

そんなことを最近言われていたので、ああ、頭が良いって勉強だけじゃないんだな、ということを日頃からなんとなく考えていたから、こいつは誰も気付かなかったことを言ってのけたから、また別の意味で頭がいいのかもしれない、なんてことを考えていた。まあ実際、そんなことはなかったと思うが。

 

リーダーという立場は、ともすれば楽なのかも知れない、ということ。今になってその答えを求められれば、間違いなくNOと答える。ちなみに、リーダーがリーダー足り得る場合のみにおいて、NOである。

 

 

 

 

 

 

 

ーダーは「引っ張る」ことに収まらない

 

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になってこのことを思い出して、私がリーダーということに関して何を考えるか、という問いに返す言葉があるとするならば、

 

「待ってはいけない」

 

という答えを出す。誰かが自分に対して何かを発してくれる瞬間は、待っていたところで基本的にずっとこない。永遠にやってこない。ということだ。

 

リーダーは全体の様子を一歩離れて見ることによって、何か問題や亀裂が見えそうならそこに対応してあげて、誰かが自分に対して悩みや報告をすれば、自分がそこに親身になってリアクションしてあげることによって状況は良くなる……私がそう考えていた部分は大きいし、私の周りのリーダーにもそういう人々は多くいたりする。

 

そうして、「待って」い続けたことによって、ついに何もしなかった、という人々を、あいつは実は組織の中で最も暇なんじゃないだろうか、と思われた人々を、自分は複数名見てきた気がする。そして、空虚のまま次の代に引き継ぐことになってしまう。そうやって色あせたバトンを見て、新しいリーダーが何を思うかということは、想像が容易いのではないだろうか。一つだけ違う方向を向いた机に座って、ウンウンと頷くだけのリーダーの姿勢は、他人事でしかない、ということだ。

 

そう考えると、私は、リーダーに求められることは、誰もが順調にやっている、と思っている中で、それは問題だ、今の状況はピンチなんだ、存続が怪しいくらいなんだ、という主張を、誰もが来ると思っていない角度からのパンチを繰り出すことにあるのではないだろうか、ということを考える。それが、いわゆる「リーダーのビジョンがある」という、広く言われている能力みたいなものと関連しているような気もする。

 

その仕事は辛いものである。自分が先頭に立っている組織に対して、客観的な立場から、自分の感情を殺してまでも評価をしなければならない。そしてときには厳しい言葉で形容する必要があるから、やっぱり辛い立場なのかな、という気がしてくる。その辛さを避けたら、やっぱり何も残らなくなってしまうのだろう。嫌われてしまうくらいに誠実でなければならない。

 

そして、問題を作り上げる、というか問題を探し出すという仕事は、リーダーという立場についてまわる「まとめあげる」という動詞とはまた別の色を感じさせられる。リードするのではなく、とにかく問いを与え続ける。そういう人が組織の中で別にいればリーダーの役割ではないのかもしれないが、そうではなかった場合、リーダー以外のみんなが順調だ、もしくはこのままでいいんじゃないか、と思っている場合には、リーダーは嫌われる覚悟で出題しなければならないし、たくさん宿題を出さなければならないのである。

 

 

 

 

 

が中学時代に学級委員になったときも、案外暇だな、と思っていた。しかし、それは私がクラスがよく見える位置には存在していなかったから、何をしていいのか、ということが全くわからなかったのだ、ということが発覚してくる。私はやっぱりスクールライフのメーンキャストにはなれなかったのだ、ということを痛感し、過去を振り返るのはやっぱり痛々しいことなのだ、という結末を書き、遅めの睡眠をとることにした。

 

 コミュニケーションの難しさに関してはこんな感じで書いています。

【エッセイ11】「コミュ障です」って言うと、嘘だ!と言われるのは、コミュ障の定義が分かっていないから。 - 深夜Generation

 

 

ちなみに言うと「そいつ」を最後に見たのは、大学生になって地元駅のコンビニで早朝からレジに立っていた姿だった。研修中のネームプレートを胸につけていた記憶がある。もう会わないかもしれないし、それに対して何を思うわけでもない。

 

 

 

 

*  *  *

 

 

読んでくださりありがとうございました。

 

 

 

 

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