Yuigo・ん・・・湿っぽい

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【文】感情の境界線を越えたが。


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 試験期間が終わってから、夜になると決まってPCの前に座り、ワードソフトを開き、ブログを書こう、と身構えていたのだが、なぜか書く事ができなかった。出来なかった、というよりかは、書くと、そのあと、それが自分の文章として許せなくなってしまっていた。新しいブログにて文章を進めようとするが、その際、私は読み手の存在を初めて意識し始めたのだが、これが、あまり良くなかったのかもしれない。いつも、私はブログという場において、自分の書きたいように書き、それが自分を傷つける、また、誰かに刃を向けることになっても、それが自分自身だから、この文章を書こう、歩を進めようという心境にあったのである。しかし、私は読み手を意識した瞬間に、文章を進めることができなくなってしまった、ということだ。

 だから私は、もう一度、いずれはブログとしての理想形に近づけて行かなければならないのだが、もっと簡単に、シンプルな思考でもって書いてみようと考えた。なので、読んでください。

 

 

 

 ―――今考えてみると、私はやっぱりおかしな子供だった。目立ちたがり屋なわけではないのに、図工や美術の時間ではとにかく波紋を残したがっていた。そういえば、絵画の課題をつくるとき、作品が完成してもなにか満足できず、結局その絵を自分の詩で覆い尽くしたこともあった。やっぱり変な子どもだったと思う。よく大々的に虐められなかった。これは奇跡的なことである。自分の振る舞いは、周りの人間が嫌だと思い始める「閾値」をとっくに超えていたはずであるから。そんなこともあってか、私は常に数日前の自分自身が嫌いになる。嫌いになりながら生きている。あの頃の自分はまだましだった、とかいう妥協も全くなく、私は常に自分を嫌いながら生きている。後悔とかそういう概念ではなく、嫌いになる。別の人格として批判するから、これは後悔ではない、と自分は判定することができる。だから改善しないまま、嫌いになりながら生きているのであろう。おそらく、この文章だって、とっても忌々しいものとして、後の私の目に映るはずだ。このサイクルがいいサイクルでないことはもちろんわかっているが、このようにして20年の時を過ごしてきてしまった、と思うと、これは最早どうしようもないことなのかもしれない。

 

 そう、私は過去の自分が嫌いだが、嫌いで有り続けるから、自分は改善されないから、つまり私の本質は変わらない。嫌っている過去の自分と今の自分が変わらないから、自分が嫌いで仕方ない。実際には、今の自分は嫌いでも好きでもないのだが、後にきっと嫌いになるから、今も今の自分がきっと嫌いである、という論理に私自身が客観的に従って、私は私が嫌いで、そしてそれは変わらないことである。

 が、そんな自分であるが、最近は少し変わったことがある。大きなものではないが。

 

 

   ◆   ◆   ◆

 

 

 私は、正確な時期は把握していないが、泣くことが、ある時を境にしてめっきりなくなった。嬉し涙も、悲しいソレもない。有るのはあくびと「メニゴミガ」のときに現れる涙、もとい酸っぱい液体でしかない。これは涙ではない。「涙」であったとしても、「泪」にはならない涙だ。泣くに相応しい感情を伴わない、ということだ。

 

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 滅多に泣かないというお笑い芸人が、お前は感情がないのか、という司会者の指摘を受けていた。その度私はドキッとした。感情がないわけではない。寧ろ、私は詩を書くから、感情はきっと豊かで波だったほうである、と認識している。しかし、感情がない、という言葉をそのまま跳ね返すことには困ってしまう。どうしても、泣く、ということに対しての憧れ、羨ましさは自分の中で存在しているからである。私はゾンビかもしれないし、それを反証するためのものが揃っていないのかもしれない、涙が確認されないために。そう、不安に籠ったこともあったが、基本的には、それがなくたってどうということはなかった。泣くということがないと、自分の感情を断定することがちょっとだけ難しくなる、それだけの弊害しか、私にはなかった。少しだけ悲しみと悔しさが曖昧になるが、それは自らの努力によってなんとでも解決されうるものである。だから、涙はなくたっていい。というか、現に私の目から「泪」はこぼれない。これが、私の変わらないものの一つであり、殊これに関しては、特に嫌なことでもなかった。

 しかし、涙が無ければ感情の伝達、つまり感情の公開および拡散手段に困ってしまうという問題は顕在していた。私は、実を言うと少しだけ、学校の飯事(ままごと)のような行事に本気になって、本気で目を腫らす人々が羨ましかった。学校行事というものは、やっている当時もやった後も、どうも学校観とかいう社会の、社会の捨てたくない常識によって保持されている、まさに「行事」であり、その材料としての学生がいるのだ、と思っているし、今更行事とかいうものを通して人間が成長できるような単純な社会ではないだろう、と勝手に思っている。今の社会は、科学的ではない意味で平行世界が沢山あるのだから、ひとつの軸、つまり学校社会だけが人間の成熟の鍵ではないということである。自分自身が中学生、そして高校生だったとき、そしておそらくその前も、私はそう思っていたから、だから行事、というか学校そのものに対して真剣に向き合ったことは殆どなかったと思う。いつも自分は、別の軸に自分を預けて生きていたような気もする。

 そんな訳で学校があんまり好きでもなかった自分が、なぜ涙を流す人々を羨ましく思うのか。それはその、自分に最も足りないと思う、単純さ、というやつなのだと思っている。目の前に現れて、これこれこういうわけだから、せいぜい頑張ってね、と冷たい視線と事実の書類を突きつける現実を、彼らはきっと素直に受け止めていたのだ。それが現実かどうかの精査もしないままに、だ。そうやって、彼、彼女は、鏡で反射したみたいに、素直に涙を流すのである。おいおいそれでいいのか、と私は呆れてしまうこともあるが、やはりどこかで、自分との差としてその単純さを捉えていた。私は単純であることに憧れていたのかもしれない。その単純というやつが、私には主演俳優の証に見えたからである。

 なぜだか、物語の主人公は単純明快であることを求められている(そうじゃない奴もいるではないか!と思ったひとは、少し我慢が足りない)。単純であれば、多くの人々の共感を誘うことができるからであろう。そして、私が思うに、泣く人、というのは、その単純さを最もわかりやすく表現していることで、周りの注目を浴びるのだと思う。それが良い注目とは限らず、私がしてきたように、泣く人に対して厳しい視線を向けることもある。しかし、それこそが主人公なのである。主人公だから、友も敵もとにかく沢山いるのである。主人公性は、簡単には真似することのできない希少なものであることは、それが主人公である、というそのままの意味によって、解釈はとても簡単だ。

 

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 そのような意味、それと更に諸々の意味を含めて、涙というものを私は「感情の境界線」と捉えていた。涙があることによって、その「感情」は強くはっきりとしたものになり、その裏にあるものを更に陰のもとに置く。コントラストが強くなる、ということなのだろうか。涙があると涙の裏に潜んでしまったものを、引っ張り出すのは難しい(その時点においては特に)。だから、涙を流している人にはそういう意味で強さがあるのだと、私は白旗を振るようにして主張する。従って、涙を流さない私は、私のもつ感情はいつも、どこか本当とは思えない、ちょっとしたことによって変更されそうな感情である、と、私は非情な自己評価を下していた。そのようにして生きていたから、ドラマティックとかそういったものとは無縁の人生だったし、それは、一方では好都合であることは、私もよく理解していたから、それを悩ましいとは思っていなかった。ただ、やはり羨ましくはあった。

 そんな私だが、最近はどうしてか簡単に泣くようになってしまった。簡単にとは言っても元が元なので滅多にあることではないのだが、やはり簡単にはなった。文字をみて、ディスプレイを眺めて、いつの間にか、自分の思考(作品に対する、私の国語教師かぶれの分析眼)とは異なる、私の中にたしかに存在する次元において、せっせと涙が作られている様子が、なんとなくではあるが感じ取られてしまうのである。先ず鼻先が痛くなって、密室の壁が迫って来るかのように感情と体が小さくなる。そして、なにかが、視神経に対して脱出を訴えかけるように、私の眼が痛くなる。涙が出る過程はいつだってとても痛いようだ。そして、泣き落しに負けて呆れたみたく許したのか、涙はひとつの脱力と共に流れ落ちるのである。これが、私が数年来涙を流さなかったからこそ具に眺めた、感情の境界線を越える、涙の流れる過程である。

 ただ、それは、私が思っていた、あるいは望んでいた、というものよりは、少し小規模な、「ショボい」ものであったことは否めない。境界線を越える、という字面に対して少年が巨大ロボットの発進を見送るかのような期待を抱いていたのは認めるが、この一歩がそれほど偉大ではなかった、ということに、涙は流れないが脱力した。これが本当の涙ではないのではないか、とは思ったが、涙に対して安易に優劣をつけてしまっては、境界線を越えるという言葉に対して示しが付かない。

とにかく、私はこの脱力のあと、疑問だけを宿すことになってしまった。大げさに言えば、涙を流してしまえば、零れさえしてくれれば、私は私の中に埋め込まれた閉塞感を、栓が抜けるが如く開放することが出来る、と確信していた。しかし、それは、念願の一歩を経た後であっても、訪れはしなかった。私はここ最近の私のままだった。

 

 

  ◆   ◆   ◆

 

 

思えば、私は、自らの覚醒の瞬間を待望していたのかもしれない。

度々私は、さまざまな場所にて仄めかしてきており、心配も沢山させてしまっているが、精神的にあまりいい状態ではないことが、約半年の間にわたって続いてしまっている。いつからそうなったかのか、きっかけとなる出来事は分からないが、いつからか、ルーチンワークがこなせなくなり、睡眠をとっても眠くなり、家から出たくなくなり、他人と関わることを極端に嫌うようになり(これのおかげで随分と友人が減ったと思います。遠目で見て誰かとすれ違いそうになったら進路を変えていました。でも本当はそんなことはしたくなかったのです。本当にごめんなさい。)、メールやSMSの返信がすぐにできなくなり、いつからか最低限(これに関しても、一般的な間隔のよる最低限より更に下がっていると思う)をこなすように、私の意識はシフトしていった。たまに、調子が悪くなる前のように張り切ってみると、翌日は何もしたくなくなってしまう。ドタキャンだって何回もした。大事なときに限って必ず遅刻した。言うべき言葉を見つけても、口から何故だか出てこない。当初はおかしい、おかしいと危機感に苛まれていたが、いつからか、そのおかしさを飼い慣らしてしまった。私は完全に消沈した。

これが本来の自分自身なのか、と思い直したときもあり、その直感はあながち間違いともいえないことを知っていた。だから私はこうして皮肉を吐きながら学生服に着られていたのだ。しかし、私は大学生になってから当初は、その殆どが人生における大事な大事な「ポイント稼ぎ」であることは認めるが、自分の外に、そして内側に向かっても仕掛けて仕掛けて仕掛け続けた。それが、やむなくバックパスをして体勢の立て直しに落ち着いてしまうこと、せっかく手に入れたボールをやすやすと相手に与えてしまうこともあった。おそらくイエローカードだってもらった覚えがある。それでも私は、私史上最大限に行動することをやめなかった。その状態がいつの間にか終わっていたのだが、こうして考えると、その前の方が異常であった、とも思えなくはないのである。

それでも、私はいつか私は調子を取り戻して、また妙なことを思いついて妙な仲間と事をおこすのだろう、と客観的に楽観していた。それは、私が「覚醒」することを、ただただ策も無く待つ、ということと同義だったのかもしれない。つまりいうと、私は「取り戻す」ためのアクションを起こさなかったのかもしれない。

 

その証拠として、私は、涙さえ流してしまえば、きっとその次の朝からは元に戻って歩くことが出来るだろう、と勝手に思っていたのだった。境界線を超えられれば、この鬱屈した状態から逃れることが出来るのだ、と思っていた。しかし実際のところ、境界線を超えても屍は生き返らなかった。寧ろ、たった一つ(だと思っている)の手段を失ったゾンビは、更にかわいてしまったのだ、と自己評価を下す。打開策などない。少しずつ、自分を取り囲む世界に変化をつけていくしかない。なぜなら私自身は残念ながら変わることができないと、私は知っているからである。


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