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元意識高いブログ・晋也ジェネレーション

最近の話題はラジオ。ニコ生を1年で脱出し嫌いになったり、リア充/オタクワールドいずれにも住めないブログ。

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なぜ、アニメの世界が現実になろうとしているN高を、アニメアイコンが頭ごなしに批判しているのか?

真面目風

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こんにちは。

 

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(あまり関係ないことから。Twitterアカウントが爆発して、今のところはいい影響しかありません。アカウントがなくともTwitterの意見を眺めることは出来るので、フォローしているか否かという判断基準が撤廃されたことにより、むしろフェアに投稿を眺めることに気づきました。

自分がアカウントを持っている状態だと、どうしてもフォローしているアカウントとそうでないアカウントに差ができてしまう、という辛さがありました。どの雑誌や新聞を購読しているかによって、自分の意見がある程度固まってしまう、という感じに似ていました。しかし、雑誌や新聞はあくまでも文章作りのプロ(ということにしておこう)が作るもの。ツイッターSNSに関しては、言ってしまえばどんな馬鹿でもにオピニオンを出すことができます。だから更にたちが悪く、何をフォローするかによって自分の考えにも影響が出てしまうのだと気づきました。怖いですね。)

 

毎日毎日いろいろなことが話題になり、使い捨てにされていくのがネットにおける議論の典型です。最近は、どっかで聞いたのか忘れてしまった「一億総評論家時代」という言葉が常に引っかかってしまいます。ブログという存在よりもさらにハードルが低くなり、だれでも自分の意見を発することができるようになったSNS社会は、はっきり言って自分にとっては居心地の良いものではありません。誰もがワイドショーのコメンテーターになったような大きな態度で、世の中に物申していく。しょうもない意見を発する人間に限って、自分はネット界のマツコ・デラックスにでもなったかのような、そんな過信をしてしまっているのです。

そういう人間は、現代的なコメンテーターの急先鋒、マツコさんの意見も共感できる、またはそうでない意見に分かれている、ということが見えていません。どんな人にも理にかなったコメントと、そうでない、それはちょっと違うのではないか?という疑問がのこるようなコメントを残します。すべてのコメントがヒットになるわけではありません。さらに言えば、コメント一つ一つに関しても、ここは共感できるけど、この部分に関してはどうかな?という、細かい判断をすることができます。考えてみれば当たり前のことですが、盲目的になってしまうと、すべての文言がキラキラ輝いて見えてしまうのです。だからこそ、例に挙げたマツコさん自身も、当然ながら自分の意見がすべて正しく支持されるものではない、ということは分かっているのにも関わらず、さすがマツコさん!とコメンテーターに依存してしまうのだと思います。論点をずらしてショーンKを擁護、なんていうネット記事を出す人間も、そういった症状にかかっているのだと思います。

ブログに関しても、SNSへの短く(だからこそ良い感じに要約されたように見えてしまうマズさがあります)、サイトのデザインにフォーマットされて良い感じにコーティングされてしまった意見の悪さと、そこまで違いはありません。「ネットの意見」という肩書は、この十数年で、どうにも人間の隙間に染み込んでしまったようなのです。

分かっていただきたいのは、素人である私のブログは、歯に例えれば、大きな虫歯だらけの文章だということです。だから、そういった患部を見つけるような姿勢で見てくれると良いのではないかと思います。プロの文章にだって、真っ白でピッカピカ、という歯はなかなかありません。歯垢がたまっていたり、ちょっと歯並びが悪かったり、手術の跡があったりということが、ちゃんと探してみれば見つかるのではないかと思います。文章のすべてを信頼するということは、有象無象ピンキリにも程があるネットのオピニオンにおいて、とても危険な態度だということを、まず言っておきたいのです。

 

さて、ある程度の愚痴を並べたところで、そろそろ本題に入ろうと思います。

 

nnn.ed.jp

 

ニコニコ動画を運営する角川ドワンゴの系列で、ネットで(完全ではなさそうですが)完結する高等学校が開校、入学式があったというニュースがあり、偉そうなネット住民の餌となりました。先日ニコニコのアカウントも原因不明の爆発によって失念してしまった私は、詳しいところまでは知識を得ることができませんでしたが、N高そのものに対しての意見というよりも、今回はこのニュースに対しての反応、これに対して疑問をもったため、長い前置きを経てこのような記事を書こうと考えました。

何か、というと、私は、N高に対して批判的な意見が多い、ということに対して疑問を持った、ということです。

確かに、ネットに出回った画像を見ると、N高を盛り上げようとしているニコニコ(運営はおそらく正式には角川ドワンゴなんですが、ニコニコということにしておきます)自身が、どうぞ叩いてください!といった感じの映し方、演出のしかたをしているということが問題を面倒くさくしているなあ、ということもあるのですが(炎上商法というやつでしょうか)、彼らが軸として掲げる理念やシステムに関しては、そこまでおかしなものではなく、むしろ、現代そしてこれからの社会を考えると、確かに必要になってくるのかもしれないなあ、という感覚にさえなりました。私は、完全に、ではありませんが、このような学校の在り方には賛成です。

待ってましたとばかりに、ツイッターをはじめとしたSNSには、批判の声が並びました。いや、ほとんどは批判にも当たらないような暴言、中傷に近いものでした。そして、その中にアニメのキャラクターアイコン、それに準じるアイコンが見られたことです。私がなぜそのことに不可思議さを感じたのか。それは、N高という存在はこういうアニメやライトノベルなどのカルチャーが好きな人間にとって待望の存在だと、私が感覚的に感じていたからです。

自宅に居ながらでも授業やコミュニケーションを受けることができる、ゲームをするということが部活になる、年齢をはじめとした境遇が異なる人間が簡単につながる、スタイリッシュな制服(これ何回着ることになるんだろう)や、中でも、VR機器を眼に装着している入学式の様子は、まさにアニメの世界が現実になろうとしている!という点ですっごくワクワクするような画に見えたのですが、批判者はそれさえも攻撃の対象にしていました。え?それ攻撃しちゃうの?というところで拍子抜けしてしまった。

普通の高校へは理由があって通えない、中卒で大人になってしまったから仕事をしながら高校も卒業したい、入学した生徒の多くはそういった理由を持っているようにみえました。彼らに対して、批判者は普通の高校に入れ!とか、このまま死ぬまで中卒でいろ!とか暴言を浴びせる気なのでしょうか。現代問題として、引きこもりや学校に通えない児童がどんどん増えているという話は誰もが一度は耳にしたことがあるはずです。確かに今までの学校の体系とは大きく異なりますし、様々な問題が待ち受けているかもしれません。システムの概形を見ると、生徒自身の人生設計に対する情熱が試される、案外シビアな形式なんだなあとも感じます。ほぼ自力だけで受験勉強をしてきた私は、単純に面白いなあと思いました。このシステムを使って東大を目指す生徒もいるみたいで、気になるところです。ニコニコというサービスがこれから先どこまで存続するかという隠れた不安もあります。

 

 

m4usta13ng.hatenablog.com

 

 

しかし、時代の進展に対して、N高の誕生は至極当然の動きだと判断することができますし、それに対して批判や中傷を浴びせるような意見というのは、時代を掴むことができていない、またはある種の嫉妬なのではないか、というほどにも考えられます。アナタ、本当はN高に入りたいんじゃない?ということ。その内実は置いといて、先鋭的な動きに対して頭ごなしの攻撃をする意見が、主流とならないことを祈ります。


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