Yuigo・ん・・・湿っぽい

モルック、システムエンジニア、その他趣味。大学生のころから使っているので、昔の記事は恥ずかしいし今の思想とは異なっていることが多いです。

現代人は何かのオタクでなければならないのか?

 

こんにちは。

私はどういうときにブログを書くのか、というと、どうにも引っかかる抽象的な疑問を取り合えず提示しておきたいとき、というのが最も多いパターンだと思います。別にいいじゃんで割り切れるならいいんだけど、そういうことにしちゃっていいのだろうか?という小骨のような引っかかりがあるとき、結局ブログを打ってきました。

最近書くことからかなり離れていたので、よくよく考えてみると、こんなモヤモヤがずっと自分の周りに漂い続けていることに気付いたので、サクサクとブログが書けるのが、たぶん今の状況です。

 

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(一度は使ってみたかったイラストやの素材。ただ、最近どこでもかしこでもイラストや素材が見受けられるので、これっきりになるかも。)

 

で、今日の話。

私が子供の時というか、まだオタクやマニアという言葉が真新しかった頃、その言葉の慣れなさと同様、オタクやマニアと呼ばれる人々の存在は珍しく、メディアに取り上げられるたびに奇異の目で見られたり、マスコミが彼らをせせら笑うために呼んだという目的が透けて見える、どちらかといえばと考えるまでもなくかわいそうな存在でした。

初代ポケットモンスター任天堂2DSの発売とともに話題になりましたが(あれを買う人間はAKBグループのCDを買う人間を馬鹿にする権利はないですね!)、そのゲームにおいてもオタク、マニアと思われる「りかけいのおとこ」は、健康快活とは真逆の存在として描かれていました。今だったら軽く問題になるかもしれませんね。理系がみんなこんなキモイってのか!って。実際のところは、そうでもないし、そうでもあるんですけどね。最近では、もしかしたらゲーム製作者の自虐も混ざっているのかな?とも思えます。失礼に当たるんですが。

同世代の20代前半の人々に聞いても絶対知らないといわれてしまうのですが、そのころに時折テレビで見た宅八郎なんかもその代名詞的存在でしたね。よくサンデージャポンあたりで見たような気がする。こんな感じで、オタクっていう存在、マニアという存在は見世物のような感じで捉えられていて、時には一般人が彼らを見て「まだ自分よりも下がいる」なんて不健康な安心をするのに用いられていたんじゃないだろうか。

そして、オタク、マニアという指定をされていない限りにおいても、何かにやたら詳しい人、異常な愛を表明する人なんかは変な人、という目線で見られていました。2000年代の前半までは少なくとも、こういう文脈がまかり通っていたんじゃないでしょうか。

 

しかし、最近ではこういった構図が全く通用しません。むしろ、人間は誰でもすべからく、何かにおいてオタクである、という論調のほうが力をつけてきている気がします。

「イケてる人間」という種族の最前線に立っているのは、やはり芸能人であるという前提を踏まえたうえで、最近の若手タレントはどうやって自分を売り込むのか、ということを思い出してみてください。この手法、私個人としてはすごく浅はかで本当に嫌いなんですが、特に若手のアイドルやグラビアタレントなんかは、「私実は○○オタクなんです~」という自分の売り込み方をする方々がとても多くなっている、というかみんなこんな感じで主張してくるよね?といった具合。

まあ、よくよく考えれば、国民全体を巻き込んだアイドル商法はとっくに終わりを告げていて、アイドル業界が以前よりも明らかに、よりオタク向き、オタク狙い、残念ながらぱっとしない男性を対象にした商売になっていて、実は私もオタクなの~という、2軍男子が誰しも夢見た、自分のフィールドに理解を示してくれる女子、という売り込みの仕方を押し付けてくるのですから、まあこうなってくるのも当然か、という話にもなります。熱狂的な趣味が仕事につながるケースがどんどん増えているのも、最近の芸能界における特徴だと思います。バイク番組ではチュートリアルの福田さんがかなりイキイキしていますね。楽しそうな様子はこちら側にもポジティブな感情を分けてくれるので、こういう動きは更に増えていくはずです。

でも、ジャニーズ事務所のアイドルがアイドルアニメに熱狂していたりする様子がテレビで時折取り上げられ、彼自身も自分の一番の持ちネタにしている様子が映し出されたり、単純にオタクに媚びているから、というわけでもなさそう。1軍っぽい感じの人間がアニメの話をしたりすることも珍しくなくなっていますね。

 

もっと単純に考えても、オタクであることを表明することが簡単に、より障壁がない状態が生み出されています。別に、オタクです、なんていってもドン引きされることはほとんどありません。むしろ、誰しもがなにかしらの趣味に熱い情熱を注いでいることが、普通であるという論調が渦巻いているような気がします。

この論調が、残念ながら自分にとってはあまり心地の良いものではないのです。私の言いたいこととしては、「別にオタクであるほど好きじゃなくても良くないか?」ということなんです。

 

私にも趣味というか好きなことはいくつかあって、その数は人よりも多いんじゃないかと思います。たくさんの趣味があって、しかし全部を毎日楽しむわけにはいかないので、最近はこれとこれ、前はあれとあれ、みたいな感じでローテーションを回していく。そんな感じなので、一極集中とか、そういうオタク的な趣味の摂取をすることが今までもなかったし、これからも多分ない。最近はラジオを聴くのが自分の中で滅茶苦茶流行ってて、毎日音楽を聴きながら何かをしていた10時間以上の時間が全部ラジオの音源に変わってしまっていて、でも、これから段々飽きて行って本当に好きなラジオだけ残っていって、あとは次の趣味に移っていく。そういう風にずっと過ごしてきたので、何かに関してオタクです!なんてことを声高には決して言えない。いろいろやってきたからいろんな話にそれなりに付き合うことはできるけど、自分からオタク話を堂々と展開することはできない。しかし世間は一億総オタク社会に向けて着々と外堀が埋められているのです。このままじゃアタシどうしようとか思っています。ピンチです。最近一億総○○という言葉をかなり使いすぎてしまっています。もっと幅広く。

 

というわけで今日も愚痴でした。連続してオタクとかそういう方向のブログになってしまいましたが、決してそういうつもりでもないので、ちょっと趣向を変えた話も書いていければと思います。