Yuigo・ん・・・湿っぽい

モルック、システムエンジニア、その他趣味。大学生のころから使っているので、昔の記事は恥ずかしいし今の思想とは異なっていることが多いです。

人間は元から「炎上」体質で、ネットのせいで社会がどんよりしたわけではないです

 

日記です。

 

最初に全然関係ない話。ニコニコ、ツイッターを諸々辞めるまで参加していた某ゲームの海外大会の賞金をあんまり待たせないでそろそろ送ってくれとメールした。今週中に送るよ!と言われたが、おそらくこのまま逃げられそうな気しかしない。英語で交渉も出来ないし、こっちは泣き寝入りするしかないんだけどね。軽く腹立ってる。

 

暇な時間がありすぎるとあれよあれよとAmazonで何かを買っている気がする。最近は読む予定のない本をいくつか買ってしまった。立ち読みをして中身が気になってから買えばちゃんと最後まで読破できるのだが、勢いで買ってしまうと、その買うことが目的になっているために、残念ながらホコリを被ることが多い。

 

この時間はなぜか毎週起きている。明日は何も予定がないからいいが、日曜の深夜はまず寝ていないと新しく始まる夢いっぱいの平日に支障を来すだけなのだが、起きているということは休日に未練や後悔があるということか。毎回やべっちFC終わり、GetSportsのOPテーマにビビっている気がする。あのOPは矢部浩之の〆のセリフの直後に流れるので、毎回身構える前にテレビから発せられるのである。「アメマー」というヤツ。寛平さんの代表的なギャグではない。でももしかしたらそうなのかもしれない。

 

またAmazonの話に戻る。最近買った、というか今日の朝に届いたのは携帯ラジオである。自分が使うためのものではない。自分にはradikoというインターネット経由でラジオを聴ける環境があるので必要ない。ちなみにプレミアム会員になったので全国のラジオを聴き放題である。かなり凄いことに思えるが、以外と全国どこでも同じ番組をやっていたりするのであんまり凄いことでもない。たまに縁もゆかりもない地方の朝番組を聴いて地元っぽさを感じるのは意外と面白かったりする。AMばっかり聴いていたら、J-WAVEで失笑しちゃうようになった。オシャレ感についていけなくなってしまった。どんどんダサい老けた若者になってしまう。

自分のためではない携帯ラジオは、親にあげる用のものだ。特に母親は今も日付が変わったあたりから朝にかけてのパートを続けている。苛酷に思えるが、あの人はおそらく時間間隔をそこに合わせているのでそういう気持ちはないんだとか。車に乗っている間はラジオを聴いているらしいが、その車はまあ古い車種のためにAMしか入らない、満足に入るのがTBSラジオNHKくらいだということが発覚したので、せっかくだから色々聴ける環境の方がいいだろうということで贈るのを思い立った。地元には有名なFM局もあるし、その方がいいだろうと考えたのである。

余談だが母は車中でよくTBSラジオの深夜枠を聴いているらしい。月曜日から伊集院、爆笑問題、山里、おぎやはぎバナナマンというラインナップである。ということはなかなかのお笑い通である。たとえば、伊集院のラジオでは、トークの中で結構前からメイプル超合金のツッコミ、安藤なつが登場しているので、あのコンビがM-1で衝撃を与える前に母はそんなの前から知ってたよ、という質の悪いお笑いファンみたいな感覚を内心抱いている可能性がある。まあないと思うけど。というか深夜枠なんて6割下ネタなんだけども、この先はあんまり考えないでおこう。とりあえず、深夜ラジオリスナーでオードリーANNを聴いていないというのはかなり勿体ないと思うので、一週間以内には送ることになるだろう、ワイドFM対応携帯ラジオでぜひとも堪能してほしい。あの番組内では春日さんはテレビにも増して常識人だ。

あと、母は朝には寝ているので、「伊集院光とらじおと」には特に興味がないらしい。もしかしたら大沢悠里の名前を知らない可能性もある。なかなか特殊な存在だ。

 

ラジオを聴いていると、そこで喋っている人間の誰もが、自分の発言がネットで拾われるということに対して恐れていたり、時には怒っていたり、馬鹿にしていたりする、というシーンに、一つの番組の中で必ず一回以上は遭遇している気がする。「ああこれネットニュースにされちゃう」、みたいなクダリのことである。実際今の世の中、何気ない一言や、中には明らかな冗談と分かる発言まで、「○○氏、今話題の××問題について批判(擁護)!」といった詐欺めいたタイトルの記事にされてしまうのである。昔から、こういうやり口でお金を稼ぐということに対して稼いでいる当事者たちはどう思っているのか気になるということは置いておくことにするが、こういったクダリにつきものなのは、「こういう時代になっちゃったんだねえ」という後ろ向きな出演者の発言である。多分、炎上だとかツイッターだとかSNSだとかまとめブログだとかいう今の世の中を地獄とさせている原因たちは、やっぱり要らないものなんだなと思う。

 

そもそも、よくよく考えてみれば、こんな地獄で得をしている人はいるのだろうか。いたとしてもそれは健康的な生き方には思えない。注目と金を集める代わりに、自分の心というかバテリーみたいなものを少しづつすり減らしながら生きているようにしか思えない。世の中には他にも職業や生き方があり、どうやったってバッテリーを消費するが、たまにバッテリーを思わぬ形で充電できるような良い出来事に出くわしたりするから、採算がとれるようになっているという持論があり、この前まで、ニコニコ動画や生放送をやる側になっていて、それに伴ってTwitterにも多くの時間を使っていて、実体の分からない人間、もしくは人間もどきのようなどうしようもないゴミみたいな奴らをおもんばかっていたあの時間を経て、偶然に充電できるような時間は一切なかったと、自信を持って言える。私は沢山嫌いなものがあり、例えばパチンコ屋のあの喧噪がかなり嫌い、入らずともドアが開いたときに漏れてくる統率のない汚い害獣の鳴き声がぶちまけられたような音を聴いただけでもかなり参ってしまうのだが、インターネットに時間を割いていたあの日々は、よく考えたらずっとパチンコ屋の中にいて忌まわしい雑爆音と頭の悪い照明を喰らっていたのと、さほど違いがないのだ、ということは今更になって明確になった。離れないと分からないという無力さに悔しさは隠せない。

 

少々話が変な方向に言ったが、私は、ラジオのパーソナリティーが口にするような嫌な時代になったということに対しては肯定したい。しかし、それは人々がだんだんと捻くれた器の小さい、そのくせどんな問題話題に対してもテレビのコメンテーターばりのふんぞり返った態度でドヤ顔を隠せないままごもっともそうに言う残念でもうどうしようもない人間に成り下がってしまった、ということと同義ではないのだと思う。

私から言わせれば、人間なんてもともとそんなものだったと思う。私の世代は、小学生の時点ではインターネットにぎりぎり触れていなかった、触れていたとしてもそれがどういうものかは掴んでいなかった、デジタルネイティブ云々の話における、グラデーションの渦中みたいな世代である。そんなネットを知らない小学生たちも、集まれば、今でいう炎上みたいな出来事をその当時、すでに経験していたなあ、ということはよく考えなくてもわかってしまうことだった。ホームルームの学級会、若しくは正義感なのか征服感なのか分からないが通常の授業をストップして教師が説教を垂れ始める(私は当時から飛び切り捻くれていたので、当時からまさしくこの通りに思っていた)時間に巻き起こる雰囲気は、今タイムラインだったりまとめブログだったり、ニュースに対するコメント欄で生まれている雰囲気と、ほぼほぼ変わらないということが発覚するのである。つまり、人間なんて元々そんな存在だったし、ネットによって人類はダメになってしまった!という被害者妄想もいい加減にしろ、人なんて個人では様々だけど、集まればこんなもんだよ、というのが私の持論だ。

そして、それが現代の技術、環境によって、着々の全員の全発言が世の中すべてに行き渡り、見えるようになる時代になろうとしている最中が、まさに今ということである。おそらく、昔からラジオの発言に対して、つまらないイチャモンや冗談を読み取れない残念さの露呈なんてものはあったのだと思う。しかし、それはネットがなければ届きようもないし、マイナスな意見をわざわざハガキに書いて送りつけたり電話を掛けたりするような猛者はやっぱりごく少数だよね、という話になる。しかし、今では別に本人に届いてほしいなんて思っていない言葉も届くようになる。それが「嫌な時代になったね」の正体なんだと思う。つまらない奴のつまらない言葉が前に出てくるようになってしまった、そんな地獄のような社会になっているし、これからもっとそうなっていくのである。私のこんなブログ含め。