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Yuigo・ん・・・湿っぽい

最近の話題はラジオ。賛否のど真ん中を行く性格です。

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SNSにおける「ブロック癖」が怖い


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こんにちは。

 

まず全然関係ない話。バイト先にて自分が埼玉出身だということを話すと、どこだったかは忘れたけど、年下のバイトから「埼玉だったら○○峠ってありますよね」と言われた。私はさいたま市の人間だから、そんな山の方は全く知らなかったが、わざわざ峠を真っ先に持ってくるのだから、「頭文字Dの話?」と返した。どうやら正解だったようで、もっとその話をしたい姿勢をグイグイ出されてしまった。ただ、私は頭文字Dが峠を走る車の話、ということまでしか分からないし中身を全く見たことがないので、なんかガワだけ知っているからって話しても面倒なだけだな、なんなら知らないことにしといた方がよかったなあ、と反省した。他の従業員から、もしかしたら自分が車好きだと思われたかも知らないが、むしろ実のところは真逆に近いので、何というか不本意な形になってしまった。

 

ということでタイトルの話をします。

 

4月にTwitterを辞めました、という話は散々して、今はSNSに関してはほぼ放置、または退会しているのでかなり健康的である。なんであんなに苦労していたんだろうとバカバカしくなるほどに、特に末期は酷いものだった。

いわゆる「リア垢」はとっくに無いものとなっていて、最後まで持っていたアカウントはニコニコ生放送の繋がりに特化したものだった。主にそこで知り合った人間関係のために存在していたアカウントであり、そういう関係性においても勿論問題がいくつかあって削除に至ることになったのだが、それ以外にも色んな理由があってTwitterが楽しくない、なんでこんなことをしなくてはいけないだ、という情けなさ、呆れという感情がどんどん私を取り囲むことになった。

大きな原因の筆頭が、自分の興味のない、時にはむしろ嫌いな類の話をわざわざフォローしている人間のツイートや、リツイートが回ってくることによって見せつけられてしまうということだった。

自分が面倒な人間だ、ということもあるが、ジャンル全体を好きになれない性格である。たとえばゲームであっても、このゲームソフトとこのゲームソフトが好きだけど、別にRPG全体が好きなわけでもないし、ジャンルによってはなんでこんなしょうもないジャンルが存在しているんだ、というくらいに嫌いなゲームもあるしソフトもある、といった具合である。しかし、世間一般のゲーム好きというのはどのゲームも大好き!という姿勢を貫こうとするので、かなり息苦しかった。

Twitterを辞める前の末期に関しては、やたらVR、ヴァーチャルリアリティの話題を回してくる人間が多くて懲り懲りしていた。別に最新技術とかどうでもいいし、実際に特別なお金を出したりしなくても、ゲームユーザーのほぼみんながVRを体感できる!という段階になってやっと自分のところにも来る、というくらいでいいし、情報の最先端には本当に興味がなかった。しかしどんどんリツイートや記事のシェアは回ってくるし、ゲーム好きで尚且つニコニコ生放送もしてるくらいなんだから、VRくらい知っておけよ!みたいな押しつけがましい雰囲気にうんざりしていた。おそらくこういう意見のほうが少数派なんだろうけど、だからこそ尚更きつかった。

 

あと、ニコニコにいる人間というのは大体アニメが好きだったりする。だからアニメの話題がタイムラインをしばしば席巻するが、ここでもやっぱり、自分は好きなアニメ作品はいくつかはあるけど、アニメ全体に関してはどうでもいいし、自分が好きな時に視るので最新情報というのはかなりどうでもいい。というか半分以上は嫌いだしキモイなあと思ってしまっている。残念ながら。

そこら辺の女子学生みたいに、偏見だけでキモイと言っているならまあいいのだが、私の場合は、色々と事情やアニメの変遷がどうかとかそういうのを聞かされたり見せられたうえでやっぱりキモイなあ、という一周したうえでの感想なので、かなり堅牢な姿勢になってしまっている。

今期はこれが覇権だ!とか言われても、まず今期って言い方も覇権って言い方もキモイ。覇権って、別にアニメ作品同士がバトルしているわけじゃないのに。細かいジャンルも違うしエンタメ作品なんて単純にランキングを付けるわけでもないのに、アニメの見過ぎでなんでもかんでも戦わせたいのだろうか。怖い。

あと声優の話題とか本当にやめてほしい。本当に興味がない。この声優が最近沢山仕事をもらっているねとかどうでもいいだろ。一回ホラー映画のDVDをレンタルする感覚で声優のラジオを聴いたことがあるけど、これがオタクに媚びるっていうやつか、というソレを体感することになった。ただ、好きな人はもはや客観的な感覚なんて持ってないんだから、媚びられてる、なんて思いもよらないのかな、とも感じた。人気商売なんて宗教と似たようなものだし、こういう側面は仕方ないとも思うけど。

でも声優でも超面白いラジオをやってる人もいるって後で聞いたので、やっぱり人それぞれという話も否めないからこの点は書いててよくわかんなくなってきた。

 

ほか、Twitterの風習というか、文化というか、そういうものがより生き辛い環境に見えていたこともしばしばあった。良くも悪くもドライになっていた現代人が、Twitterのなかではかえってギトギトした様相を呈すことが可笑しくもあり、怖くもあった。なんで自分の知らない他人に対して怒るエネルギーがあるのだろうか?そして、Twitterユーザーがデキの悪いマツコ・デラックスのようなことを言っているのがまさに馬鹿としか言えないな、と思っていた。

 

とにかく、Twitterを見ているときの気分が、どうでもいい話題、気分の悪くなる話題、嫌いな人間、嫌いなアカウント、精神的に有害なもの、そういうものにあふれている地雷原をなんとかケガなく歩こう、という気分に近かった。なんでこんな思いをしないといけなかったんだろうか、と終わってから本当に馬鹿馬鹿しくて情けなかった。

 

完全に無防備で地雷原を歩いていたわけではない。私が対策として用いたのが、タイトルにあるブロックという方法だった。

嫌いな人間やどうでもいいことばっかり言っている人間、まとめブログのアカウントや興味のない有名人のアカウントは、思い立ったころにどんどんブロックしていた。また「ミュート」、ブロックまではいかないけど、相手に見つからないように該当するツイートを無かったことにする手法を用いて、興味のないジャンルや作品をどんどんミュートの対象にしていった。

 

Twitterでブロック、そしてミュートを使うようになってからは、他の場所においても同じ方法を使うようになっていった。様々なSNSや、サイトにおけるNGワードなどを大量に設定していった。気分が悪くなるならなかったことにしよう、という考えで、次々とブロック対象は増えていった。Twitterを辞める時にブロックリストを見返すと、その量にびっくりした。3桁はゆうゆう達成していて、500よりも多かった。そして、それと同じくらいのミュートリストが積みあがっていた。これくらいしないと、このサービスを楽しむことが出来なかった、ということを示してもいる。

 

こうしてブロックを重ねることが果たして、私にとって良いことなのか。ということは、ブロックをしている最中も、今も疑問に残っている。一体どうしたらよかったのか、ということ。

ブロックをすることによって確かに自分は嫌な話題を見ずに過ごすことが出来ていたと思う。快適にSNSを楽しもう、という目的に関しては達成していた。

ただ、ブロックをして残ったものが果たして面白いものだったか、というのが怪しい。ブロックをされなかった、検閲を通ったタイムラインは、不思議と面白くない、なんというかブロックをした「どうでもいい」を超えた「本当にどうでもいい」ものが残ってしまった。自分のブロックした方法が悪かったのだろうか、本当につまらないタイムラインが出来たと気づいたときは怖くなった。ジブリ映画だったら髪がブワっと浮き上がるような感覚に陥った。でもブロックしたものはやっぱり気分の悪くなるものだった。もしかしたら、Twitterにそもそも面白い、楽しいものは存在しなかったのだろうか?自分にとってTwitterは最高に相性の悪いものだったのだろうか?どんどん分からなくなってしまっていた。

 

で、今、私がもっているSNSは実名のFacebookくらいになっている。LINEとかもあるけどそういうのはちょっと除くとして、ここでも一度つけてしまったブロック癖が働いてしまって、○○さんの投稿を表示しないとか、○○(ニュースサイト)の記事を表示しないというブロックをどんどんやってしまっている。それまでは全く気にならなかったのに、自分もどんどん薄汚れた人間になってしまったということである。辛い。

そして、現実ではできないブロックという方法に頼り切っていることが、実生活でどんな不具合をもたらすのかということが恐ろしい。数年後にはとんでもない目に遭ってしまいそうである。そのとき、またインターネットのせいで嘔吐することになる。


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