Yuigo・ん・・・湿っぽい

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THE MANZAI と政策コンテストは同じ


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訪問ありがとうございます。

 

そういえば、今日は選挙戦の日でもあるがTHE MANZAIの決勝戦でもある。普段はテレビをほとんど観ない私でも、中高生の時に活躍していた芸人も出場しているので、観てみようかなという気にさせられる。もっとも、その当時はM-1グランプリが年末のお笑いイベントを担っていたのだが。

 

THE MANZAIと政策コンテストにある共通点が。

THE MANZAI ロゴ


漫才コンテストは知らないところでも様々な場面で開催されている。プロやアマチュア、地域、放送局、様々な区分けで開催されている。そのどれにも共通するのが、真剣さと笑いが混ざり滲んだ独特の空気、そして、視聴者同士であーでもないこーでもない言える楽しさがある。


漫才コンテストは基本的には「審査員による得票や点数」といった審査方法で勝者が決まる仕組みになっている。放送作家や、先輩・大御所芸人、文化人など、エンターテイメントの分野に明るそうな方々が審査員として判定をしている光景をよく目にする。


しかし、漫才コンテストでは往々にして、お茶の間の評判と審査員の評価が食い違ってしまうことが起きてしまう。M-1を見ていた当時、家族全員が一致した意見をもって優勝を予想しても、8組中7位とか、そんなことがよく起こっていた。これは家系全体に変なセンスがついてしまっているのか?と考えたが、そういうことでもないらしい、というのは、ある年に2ちゃんねるとテレビを並行して見つつM-1を観戦した時に判明した。ネットの声と審査員の声が異なっていたので、やはり見ているところが違うのかもしれないな、という結論に至った。審査員もそうだが、他には会場の空気というのも反映されるらしい。テレビで見ているときと、会場で見るのとではやはり違うのだろう。お笑いコンテストは一種のスポーツ的な空気も持っているから、確かに、スポーツは生で見ると迫力が違う。そういうことなんだろう。


漫才コンテストというのは、審査員の好みの問題が大きい。ひとりひとりの審査員はかなりの裁量を任されているから、彼/彼女がどのような判断を下すか、ひとつの匙加減で大きく戦況は変わってしまう。しかし、審査員の好みがそのまま世間の声と一致するかと言えば、繰り返しになるがそうではない。実際の例を挙げても、コンテストでは準優勝に甘んじたり、決勝に出たグループのうち半分より下になってしまっても、その後テレビなどで大忙しになる芸人のケースは度々あった。優勝したのになんか波に乗らない、という逆のケースも勿論あった。そんなこんなで、コンテストの結果=審査員の好みというのは、必ずしもその後の業績と一致しないのである。


大学生として周りを眺めてみると、政策ということにも同じことを適用できる。

   

 


ISFJという政策論文コンテストの最終プレゼンがこの週末に開催されていたらしい。わたしは参加していないが、同じ大学や、離れた大学の知人が参加していたりして、わたしの知っている人同士が争っているのか、と思うとわたしはなにをしているのか、という気分にもなった。それは別の話だが。


ISFJではないが、わたしも政策コンテストに参加していた。今年の夏、参宮橋のオリンピックセンターに7日間籠って政策を練る羽目になり、終わった時には世間のことなどなにも聞いていなかったので、浦島太郎のような気分を味わったことを覚えている。


そのコンテストでは最終日とその前日を使って審査をするのだが、どのチームも僅差、または全く差がないという実感を持った。その中で、政策の性格が若干異なっているので、やはり、審査員である政策に明るい方々の好みの問題になっていたような気がするまあ、中にはこの中に、政策に値するものはない!みたいなニュアンスの発言をしていたひともいたのだが。

 


好みの問題ということになると、前述した漫才コンテストと似た性格持っていると考えることができる。そこから導きだされるものとしては、審査員に評価されても世間に受け入れられるか、実際に効果をあげることができるのか、というのは全くの別問題になる、ということだ。


審査員の眼鏡にかなわなかった政策、かなった政策という違いをコンテストは突きつけるのだが、実際の効用というのは実践しないと判断することができないのである。そして、実践されなかった政策の紅葉は言うまでもなくゼロであり、実践されたものは、どんなに小さい効果でもプラスの結果を出すことさえできれば、審査員に評価されたとしても実践されなかった政策を上回る効用を生み出すことが出来るのである。この関係が逆になるのは、実践された政策がマイナスの効果を生み出すときだけだ。

 

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[フリー画像素材] 人物, 女性, 外国人女性, スポーツ / 運動, 陸上競技, 幅跳び ID:201412140100 - GATAG|フリー画像・写真素材集 4.0


つまり言ってしまえば、やってみないと何もわかりません、ということに繋がってしまうのである。精神論に吸い込まれたような気分だが、実際そうなのだから、これは逃れることのできない事実として考えることができる。


実践のために必要になるのは、やはり行動力である。本当に効果を生み出すかはわからないし、先人たちにはあまり評価されなかった政策・アイデア・芸術作品その他……なにがどうなるかは提出しない限りわからないということになる。


政策も、漫才もひとの好みによって大きくその評価を変えてしまうものである。自己評価を大切にして、とりあえず公開してみる、行動してみるという気持ちをもって様々な面で取り組んで行きたい。


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