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Yuigo・ん・・・湿っぽい

最近の話題はラジオ。賛否のど真ん中を行く性格です。

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【エッセイ5】言葉の綺麗な人は綺麗な言葉に囲まれていたんだろうと考えた話


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jaymantri.com

 

夏休みを満喫するということはどういうことなのか。大学生にとってはテストが終了したこの時期くらいから夏休みだ、という共通認識があり、世間一般の夏休みとはズレがある。社会人になったら、人それぞれの夏休みがあるし、それはお盆休みに縮小することだったり、夏休みがなくなってただの3連休になったりすることも考えられる。だから夏休みの意味合いが個人によって変化することは大した問題ではないのだが、数週間前までの、塾の生徒たちの夏休みトークに付き合っている時期は、どことない違和感がじわじわと背筋をなぞっていたのを覚えている。そんな何とも言えぬ不快感からも脱却し、私にも夏休みがやってきた。

 

夏休みのキャンパスは、いつもと変わった様子を見せないが、図書館の周りに自転車が集まり、対して各学部棟の周辺にはまばらにしか二輪の姿が見えない、というわかりやすい状況を描いている。この大学は、自転車の数が人口よりも多い、恐らくそのような特徴をもつキャンパスなのである。ベトナムでいうトゥクトゥクのようなソレである。これは最早風物詩のようなものに近いから、自転車環境を整備しようとか考える団体や業者も、次第にやる気を失っていくのである。また、自転車整理のために日々働いている職員は、自転車が減ったらその分自らの仕事が奪われることを危惧していると想定できる。

 

歩いている学生や職員も、どことなく軽くなったような足取りを見せて、よくよく考えてみれば、誰もかも携えている荷物の量が減っているような感覚を受けた。それだけ、自由になったということだろう。もちろん、それは私にとっても変わりなく、いつも背負っているリュックがぺったんこになっていることが増えてきて、当の私もまた、リュックの体積によって「夏」を感じることにしているのである。

 

夏休みに入ってまず私が取り組んだことは、Amazonで本を大量に注文することだった。以前より気になってとりあえずカートに入れておいた本を再度チェックし、一度に注文する爽快さは貴重である。クリックと同時に大量に「注文完了しました」のメールが来て、その数分後には注文した分だけ、「注文番号をお送りします」のメールが再び訪れ、伏せておいた携帯を点けると、まるで激しい別れ話をしているのか、と勘違いを喰らいそうなほどの未読メールがポストに押し込まれているのである。そして私は、クレジットカードを持っていないので、コンビニと部屋をその日のうちに数往復して、同時に店員も困らせてしまった。それでもカードを持つということに対しての不信感が拭えないのである。「リボ」という単語を見ただけで、高校自体まとめサイトの情報を浴び続けた私は鳥肌を立ててしまうからである。

 

それぞれの本に関しては後々紹介しようと思う。いとはいっても、今回はその一部が後期分の教科書(を今のうちに買うことで1円の中古品を確保することができた。特に、授業の講師と教科書の著者が同一の場合、ひねくれた私は「あなたなんぞに印税を送りたくはない」という気持ちが強いため、講師に対する批判の表現としてこの方法を推奨している)や参考書であるため、それらを除いたものを紹介することになりそうだ。

 

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著作者:hypotekyfidler.cz

 

読書をするということは夏休みだからこそできる特別なことではないが、同時に間違った過ごし方でもない、というのは多くのひとが共感してくれるところだろう。読書という行為自体は、誰がどこでいつ行っていたとしても絵になってしまう、それだけ人間にとって普遍的になっているものなのだろうか。

 

また、本を読むということは、きっと訪れるであろう、自分が書き手となるときに向けた準備ではないだろうか、と考えることができる。

 

私がブログを書く際に、殆どの場合は準備をしないのだが、時折しっかりした文章を書かなければ成立しない、と考える状況が訪れる。そのときは大体、その場面にあった文体を例示してくれている本を本棚から探してきて、一節でも10ページでもいいから読むことにしている。皮肉めいてなおかつ嫌味ではないことを書きたいと考えている場合は森見登美彦氏の文章を一度読み通すことによって、その後書く自分の記事が自然と森見流に影響される(だけであって、彼のような素晴らしい言調を模倣することには同一しない)という効果を演出するのである。対して、皮肉を沢山書きたかったら、英文を和訳した本や歌詞を読み通しておけば、自然と自分もそのようなことを書くのである。

 

これは自分が素人同然の文章力を持っていることを前提にすることで可能になる文章術であり、もしも自分の「カタ」を持っている、という方がいた場合、この術、というか小ワザは参考にはならないだろう。でも、見たところ大抵の大学生は素人であるから、良いレポート、抜け目のないレポート、突っ込みどころのないレポートを書きたいのであれば、書き始める前に優秀なレポートや論文、また判例なんかに目を通しておけば、自分が書くときにたっぷり影響されるのではないだろうか。文章に自分の色がないことを恥ずかしく思うこともあるかもしれないが、そのような自信を兼ね備えたひとはたったのひと握りであり、それは恥じることでは無いと思う。

 

こんなことを意識せずとも文章に自分を載せることが苦ではない、というひとは、きっと幼い頃から綺麗な、それともかっこいい、それとも粋な、それともユニークな、それとも、それとも、とにかく素敵で色のある文章に囲まれていたのだろう。羨ましいと思う。そして上述も小ワザも、この理論を応用したものであるということは言うまでもない。

 

 

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読んでくださりありがとうございました。


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