【雑57】ところでパスポートってどうやってとるんですか?
訪問ありがとうございます。
朝起きたら新しいフリーフォントのニュースが届きました。
Rounded Mgen+ (ラウンデッド ムゲンプラス) | 自家製フォント工房
草彅(なぎ)の「彅(なぎ)」が書けるフリーフォントって貴重ですよね。SMAPファンは全員インストールしておくべきだと思います。第3水準、第4水準の漢字に対応しているフォントは極めて少ないので、仕方なくMS系のフォントを使わざるを得ない、というパターンは多いのですが、これは本当に嬉しいですね。難しい人名漢字ひとつ使えないために、冊子やポスターの全デザインを入れ替えなければならない、という事件も起きてしまうのが学生デザインあるある(だと勝手に思っているの)です。
フォントのインストール方法はとても簡単なので、指示に従っていれば誰でも使えるようになりますよ。ちなみに、上で紹介したサイトはフォントファミリー(太さやイタリック体などの種類)を豊富に用意しているので、本当に汎用性が高いです。私も、「源真ゴシック」をWindowsの規定フォントにしています。さよならメイリオ。
中立性の高い、綺麗だけど主張が少ないフォントなので、フォーマル、カジュアル、ファンシー、アーティスティック、どういう場面にも対応してくれます。
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って、フォントの話は全くするつもりはなかったのです。今回は、夏期休暇っぽい話をしようかな、と思って書き始めたのに、お馴染みの脱線です。
夏期休暇における学生の選択肢として人気なものの一つが、「海外にいく」ことだと思います。旅行、スタディツアー、留学、ボランティア、一人旅、学会、バックパック、世界一周……行き方こそ様々ですが、兎に角「日本の外にいく」ということは学生にとって心身ともに成長し、視野を広めるためのもっともてっとり早い方法であり、その点について異論を唱える人はいないと思われます。
まあ、理由もなく海外に行ったり、何を得たいのかということを明確にしなかったり、帰ってきてから自分は何をしてきたのか、ということを振り返っていなかったりする、というのは問題外です。とはいっても、それはどういう行動、活動に対してもおんなじことが言えるので、これもやっぱり海外に行くことに対しての批判にはなりません。
要は、いつなんどきでもPDCAサイクルを回している人は強い、これは真理に近いのではないでしょうか。
こんな話を何故するかというと、私は海外に行ったことがありません。
そしてそれは、大学生になってから、ということではなく、今までで一度も行ったことがない、ということです。
ちなみに言うと、北海道にも行ったことがなく、四国も、九州も行っていません。中国地方も怪しいなあ。沖縄には修学旅行に行きました。
だから、私はパスポートを持っていません。私は曲がりなりにも国際間の食料不均衡問題に対してアプローチしている学生の一人ですが、私の行動には説得力がなかなか付随しない、という問題はいつも抱えているわけです。
ある先輩は、まるで命令のように、海外に行きなさい、なんでもいいから行きなさい、と言いました。私は先程も言ったとおりPDCAを組み立てて、行動Aをする理由がある、と確信しなければ行動できない人間なので、なんでもいいから、ということには納得できませんでしたが、なにせ、一度も海外に行ったことがない人間が海外にいく理由建てをする、ということ自体無理のあることであり、「なんでもいいから」、という理由に見えない理由はある意味で正しいのかもしれません。
かと言って、それでも私は海外に行かなければならないのか、ということに関してはまだ踏ん切りがつきませんでした。そもそも金がないし、両親に迷惑をかけている状況なのに曖昧なスタンスのまま日本を発つ、というのは周りも自分も納得させることができないじゃないか、と悶々としていました。だって、行けるなら行くし。
http://fancy.com/things/371130489852921137/Moon-Crater-Watch?utm=timeline_featured
(時間とか気にしなくていい世界に行く切符がもしも目の前に落ちているなら拾うけど、それを手に入れる、ということには疑問がある。言い訳なのかな?)
そんなとき、ひとつヒントになりそうな言葉を言われました。
その仲間はたま~~~にしか顔を合わせないのですが、いつも私に真理に迫るヒントを与えてくれる人です。陰で私はあなたのことを「能力者」と呼びます。
その人はこれから海外に飛び立とうとしている、それも結構な長さで、わざわざ結構過酷な場所に行く人で、すごいな、私なんかまだパスポートさえ持っていないのに、免許証もないから身分証明が大変だよ、なんて冗談を抜かしていたら、
「でもZO!さんは、自分のなかの世界を旅してそうだから」
とかそんなニュアンスのことを言われました。こんなカッコよくなかった気がするけど。
そのかっこよさはともかく、ある程度自分のモヤモヤしている部分を引っ張り上げてくれる言葉には間違いありませんでした。
私は自分が好きです。これはもう言い逃れできることではありません。自分のブログを知り合いに見てください!って書いている時点でそれは間違いないし、詩を書いて、絵を描いて、そういう行為は、自分をある程度好んでいないとできることではなく、それを否定することは自分を殺すことにつながります。現に、自分が絵を描くたびに、未だにびっくりしてしまうことがあるのです。ちなみに言うと、私は自分が好きであり、自分が世界一嫌いでもあります。
私がこのような生き方をしているのは紛れもなく「自分の中」という世界を旅していることと同義なのではないか、ということを教えてくれたのです。確かに、私は素直にコンテンツに喜ぶことができません。それは、コンテンツをおもしろがったあとに、「それは本当に面白かったか?」と、内側の自分を通してあらためて判断しなければ吸収することができないからであります。素直ではない、と言ってしまえばそれまでなのですが、そのような人間になってしまったのです。
ですから、私は、パスポートを持っていないことの劣等感を感じる必要はない、ということをあらためて確認するにいたりました。確かに、持っていないことは「不利」ではありますが、自分が「惨め」に感じることではないだろう、という風に問題を捉えることができます。
最後に気になったツイートを。
「女性のための○○」「女性でもできる○○」とか謳ってるコンテンツって、たいていひどい。ぬるくてゆるくて馬鹿スロットル全開の記事ばかり。とくにIT系は目を覆いたくなる。そういう記事を見るにつけ、この国はほんとうに女が馬鹿にされやすいんだなーとしんみりする。
— GOMI Akiko (@g3akk) 2014, 8月 22
ソースはないのですが、確かに感じることです。女性を女性として扱ってしまっていて、その向こうにいる「○○さん」「○○氏」とかいう個人には目を向けられていないような気がしてきます。マスに向けたものだから?なのでしょうか。
ファッション誌やファッションサイト、プリクラのテンプレートが軒並み似通っていることも、私からしたら変なことだな、と思ってしまいます。私が思っているよりも既に多様であるのかもしれませんが。
読んでくださりありがとうございました。