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Yuigo・ん・・・湿っぽい

最近の話題はラジオ。賛否のど真ん中を行く性格です。

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【エッセイ8】眠れなかったので『マーニー』を朝一で見に行ったのです【雑52】


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訪問ありがとうございます。

 

どうでもいいことをいくつか書いてきます。

 

Chromeのテーマを変えてみた」

 

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可愛い。そして、少しだけでも夏に生きているということを思い出させてくれるのは私にとって大きなことだなあ、と思います。Chromeのテーマは漁ってて飽きないですね。(団体や複数Gmailアドレスを持っていて)複数ユーザーを使っている人は、見分けをつけるために使っていることもあるとかないとか。私も、動画投稿専用のアドレスに切り替えるときは、無地のテーマを採用しています。こうでもしないと本当にアカウントを間違えてしまう可能性があるのです。Twitterで何回かやらかしているので。私のようにやらかしてしまう人間は、本当はtweetdeckをいじるべきではないなあ、と日頃から反省している次第です。

 

 

 

「思い出のマーニーを観てきた」

 

お盆休みは面倒だったので実家に帰省することもなく、千葉の一人部屋でただただ時間が流れることを許していました。なので、早朝に何もなく目覚めてしまい、なにもしていないのになぜかふくらはぎが筋肉痛になっていたことに恥ずかしくなりながらも、せっかく起きたのだから、と、千葉駅にフラフラと流れ着いて映画を観に行くことにしました。沢山の人が、総武線を逆方向に乗っていったのが印象的でした。そりゃそうか、と思う反面、本当にそれでいいの?と、特に理由も価値もないアンチテーゼを投げてみたりもしました。でも、私の肩力では届きっこないのです。

 

観ることにしたのは「思い出のマーニー」でした。売れていない、やっぱり宮崎さんじゃなきゃ、とか言われているのですが、果たしてどんなものなんだろう、と、なんだかんだでジブリが染み付いている人間として気になったこと(でも風立ちぬはみていないなあ)、宣伝の動画に百合を感じてしまったこと、百合がすごいとかなんとかがタイムラインに流れていること、理由はさまざまでしたが、なにより一目見たマーニーが好きです。それだけです。

 

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このキャッチコピーはちょっと安易だったかな。と思う。

 

 

映画館につくまでは割と興奮していたのですが、休みとは言っても平日の9時上映ということもあって、館内はガラガラで、その光景に目が覚めてしまったのか結構冷静でした。私のみっつうしろ、人を誰も挟まないでみっつ後ろに座っていた、おそらく同じ部活のポロシャツを着た男女の中学生二人組がカップルだったのか、ということは今でも分かりませんが、夏という季節に体の知らないところを抉られたような気分になりました。私の左後ろには、母親と小学校低学年くらいの男子がいて、こんなガラガラの、千葉の映画館を選ぶなんて、彼女は不器用なのかな、とか、いらないことを考えていました。予告の映像は変わるたびに長くなって、そして映画は始まりました。

 

感想は言い過ぎるとぼろが出るし、ネタバレは罪深くなるので少しだけしか言いませんが、百合がどうとか女の子同士がどうとかは、あまり感じられませんでした。個人的に、百合には①作品から「どうも、百合です」と主張してくるもの、②作品は主張しないけれど、細部から百合を抽出したり、作品には描かれない百合ん百合んなストーリーを創作する余地があるもの、という種類分けができると考えています。「思い出のマーニー」は言わずもがな②に当たるのですが、これに対して百合を見出している人は、結構無理があるんじゃないかな、という気持ちになりました。単純な恋愛感情というかは、もっとスピリチュアルな部分や、主人公の内的な世界の拡大を探していった方が楽しいのではないかな、と思いました。そして、子供にはわかりにくいだろう、という各方面からの指摘には納得しました。感情は豊かに流れるけれど、どうしてその感情に至ったのか、ということが分かりにくいんじゃないかな、と感じました。とは言っても、私から観て素晴らしい作品だった、ということは間違いありません。

 

私は映画館を出たあと、お腹が減ったので東京チカラ飯に行って、そのあとは、千葉の街に出たとき、目的もなにもなくなってしまったので、修学旅行の最終日が午前中に終わってしまって、この持て余した時間をどうすればいいのだろう、と迷ってしまうあの気持ちになりました。どうしてこんな時間に学生を解放しながら、「まっすぐ家に帰りなさい」と先生たちは言うのでしょうか。前からそれは不思議でならないし、やんちゃなひとたちは悪巧みや口喧嘩にも似た恋愛表現をおっぱじめることでしょうに。もしかしたらそれを計画しているのかもしれません、と考えたら、先生ってやっぱりリア充だから先生になるのかな、という兼ねてから温めている私の推測が正解に近づいた気がしました。今学校に溢れいてる様々な変な感情とか問題とかは、当時の学校がつまらなくて仕方が無かった、という人に頭を下げてでも先生になってもらうことで解決するのではないかな、と私は勝手に考えています。

 

当時は真面目だった私も、やんちゃな中学生の気持ちになりきって千葉を練り歩こうではないか、と思いましたが、結局は自分自身の腹痛を理由にまっすぐ帰ることにしました。本当は一人でカラオケにも行きたかったのですが、それも諦めました。カラオケはお金がかかるから、お金がかからないギターの練習をしようと、だだをこねる私に言い聞かせました。結局その日、ギターの練習はしませんでした。約束を守らないから、私のなかの子どもは私のようにひねくれていくと思います。

 

 

 

いつの間にか寝てしまっていて、私は深夜に目覚めました。また昼夜逆転をしてしまった、そろそろ睡眠薬でももらいに行こうかな、と思うほど、私はがっくり来てしまい、いまこうして日記を付けているのですが、それまでは、夏の匂いがするオムニバス小説を読んでいて、部屋にはBase Ball Bearの曲がシャッフル再生されていて、悪くないことをしているはずなのに、なぜか死にたくなってしまいました。一過性のものなので気にはしていませんが、自分という存在が消滅して、体がないまま街中を見て回れるようになって、世界が相も変わらず構造的に忙しく、内面ではダラダラと動いているさまを見て、やっぱり私はいらなかったなあ、と確信して成仏でも完全消滅でもする、という妄想をひとしきりして、満足したので生きることにしました。その前に、誰も私が見えなくなっていくら呼んでも気づいてくれないという妄想をしましたが、これは悲しくなりました。二つの妄想には、「自分が死んだか死んでいないか」という決定的な違いがあるからです。死んだらたぶん心は豊かになるのだと勝手に想像しています。

 

全然夏っぽくなくって申し訳ないので、夏らしいものを貼って終わります。

 

 

観ていないレンタルDVDがあと3枚あるので、それを観なくてはなりません。それまでは、止まっててもいいですか、と知らない人に聞いてみます。ダメだったら生き返ります。ゾンビなので。

 

 

 

 

 

読んでくださりありがとうございました。


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