Yuigo・ん・・・湿っぽい

モルック、システムエンジニア、その他趣味。大学生のころから使っているので、昔の記事は恥ずかしいし今の思想とは異なっていることが多いです。

くりぃむしちゅーのANNを聴くということは、あの日々に帰るということであった。【雑】

 

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数年前に放送が終わったくりぃむしちゅーのANNを、良いのか悪いのかは知らないが、YouTubeで聴いている。

当時、家ではニッポン放送から発せられる電波を受信することが出来ず、ポッドキャストでOPトークのみを聞くことしか方法は無かったのだが、家にはインターネット環境も無かったため、友達の家のWi-Fi環境にすがり、PSPにダウンロードを繰り返していた。中学生の私は、PSPが唯一のインターネット接続デバイスであったのである。

そのポッドキャストで聴くことができるのは、2時間ある放送時間のうち最初の30分前後、くりぃむしちゅーの二人がOPトークをしている時間だけである。だから、OPトークもそこそこにコーナーに入る日は、私にとっては少し物足りない週であった。

たった一人、クラスメイトでくりぃむしちゅーのANNを聴いているという男子生徒がいて、聴きだしてからはその話題が中心となっていった。途中から聴き始めていたので、最新の配信を聴き終わると、昔の放送に遡って聴いていた。なにしろ彼らのANNは専門用語に内輪ネタ、スタッフいじりに先週放送のネタをリスナーが改変する、といったネタで構成されていたため、私にとってはキョトンとなってしまうこともあったからである。それ込みでも面白いのが魅力でもあるのだが。

クラスメイトのリスナーとは本当に話が弾んだ。有田氏が冒頭に発する「いや~、まいったね。」の一言や、月に一回上田氏が見舞われる無茶ぶりは、私たちも真似をせずにはいられなかったのである。たとえば、こんな感じだった気がする。

クラスメイト「最近、総裁選(結果的に麻生氏が当選した自民党総裁選のことである)のニュースをみたんですよ」

ぞ!(わたし)「あー、そうかい、そいつはすげぇや」

クラスメイト「いや、そしたら、本当じゃ無いかも知れないんでアレなんですけど、あの、その」

ぞ!「なによ、いきなり言葉を濁らせて、どうしたっていうんだい」

クラスメイト「間違ってたら訂正してくださいよ」

ぞ!「ああ、かまわんよ~」

クラスメイト「……ぞ!さん、総裁選に出てましたよね?」

ぞ!「(無茶ぶりだとわかり苦笑)…そんな、出てる訳無いじゃんか、仮にも俺は中学生だよ?そんなんが総裁選に出るわけにはいかないじゃんか」

クラスメイト「すいません。じゃあ、本当に出てないんですね?総裁選に」

ぞ!「まあ、出てたけどね」

……このように、お決まりのテンプレートに沿って無茶ぶりが敢行され、私が総裁選に出るために20人の推薦人を得るために苦労した話や、結局20人に満たなかったから近所の犬に推薦してもらい、自らを平成の犬公方と名乗ったこと、その他、周りの人々に(嘲笑の)クスクスされながらあることないことをアドリブで話すという苦行をこなしたのである。ちなみに言うと、多分本当は総裁選ではなく大統領選挙だったかもしれないが、そんなことはどうでもいいことである。

このクラスメートとは変な話をたくさんしていたと思う。私が家にあった薬缶に100円ショップのサングラスを掛けて色々やらせている様子を動画に撮って彼に見せたりしていたのも、ソフトテニスのボールでナックルボールを投げ続けたことや、東京タワーをウルトラマンが誤って壊してしまうコントをやったりしていたと思う。ほとんどがうろ覚えなのだが。

高校受験が早めに終わった私は、まだ終わっていなかった彼の受験を手伝ったりしていたような気がした。いや、私は自分の受験に興味がなかったから自分の勉強そっちのけで家庭教師を買って出ていたのかもしれない。ここもはっきりと覚えていないのである。とにかく、彼の受験は成功に終わった。

高校が別々になってから、彼と会うことはめっきりなくなってしまった。恐らく一回も会っていないのではないか。私の親が、近所のスーパーでバイトしているのを、高校生の時に見たという。しかし私は見ていない。かれは成人式後の同窓会にも姿を見せなかった。

何をしているのだろうか。

今、くりぃむしちゅーのANNを聞き返すと、あの時聞けなかった残り1時間半だけではなく、中学時代の記憶も拾い集めてくれるのであった。思わぬ収穫であるが、それで心の隙間が埋まることはなく、むしろ、もっといびつに空いてしまったような気もした。難しいものであるし、くりぃむしちゅーの二人はなにも悪くないのである。

私はつくづく、人付き合いが下手だなあと思ってしまう。特に、一時期親密になったひとたちと、もう一度会うということができない。その付き合いはそれっきりだろう、と、自分から決めつけてしまうのである。ここらへんが、人間関係に苦しむ最たる原因なのだろうと思っている。このまま一人ぼっちで生きていくような気も、そろそろ現実味が濃くなってきた。一瞬一瞬では誰かと行動を共にするかもしれないが、その後、また出会う、ということは私にはできないような気がしている。やったことはほとんどないのではないだろうか。そういう欠如した人間でないと、歪な詩を書く事もなかっただろうに。

 

 

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