Yuigo・ん・・・湿っぽい

モルック、システムエンジニア、その他趣味。大学生のころから使っているので、昔の記事は恥ずかしいし今の思想とは異なっていることが多いです。

【雑】日記日記ニッキニキ

 

今週のしゃべくり007を最後の方だけ観ていて、若槻千夏さんがテレビ業界の変化について語っていた。若槻さんはしばらくの間テレビの仕事をお休みしていたと思えないほどにそのバラエティでの能力が健在であった。やっぱり、この人は同世代で同じポジションを守れる人がいないという点で貴重な人材である。彼女はテレビから離れていた間、視聴者としてテレビの変化に注目していたという(ここで私は彼女がヘキサゴンファミリーとして活躍しヘキサゴンファミリーがライブをやったりちょっと気味悪くなる前にうまく抜け出したことと、分析家であるり、ファミリーの父である島田紳助の陰を見た)。そこで最も印象に残ったのが、視聴者の目線は確実に変わってしまった、ということである。

 

今年に入ってからの芸能界は、ときに球界を挟んだりもしつつ大荒れの様相を呈している。その内容については特に触れることもないくらいに誰もが把握している部分であるが、こういった激動に対して、忙しそうに、しかしなんだか嬉しそうにしているのが深夜ラジオのパーソナリティ達である。ここ最近作業中に音楽を聴く代わりにラジオを聴くようになり、深夜ラジオも毎日のように聴いているのだが、毎週毎週いじりたいニュースが渋滞を起こし、その処理に追われているようだった。そして、その中で彼らが口を揃えて言うのが、やはり「視聴者の目線は大きく変わっている」、ということだったのだ。

 

同じ答えに辿り着いた両者の言葉の裏には、やはりSNSの存在がある。ここ最近の視聴者の感覚を変化させる要素として、これは芸能関係者でなくとも思いつく大きすぎるファクターであり、その他の要因をかすめさせてしまうほどでもある。

 

さらに話を広げてしまえば、これはテレビ視聴者、そして視聴の姿勢だけにとどまった話ではない。SNSという大きな存在が、神か悪魔か、薬か毒かいまだに判断できない、人々に浸透しつつもその内実はやはり謎に包まれている存在は、もはや人間そのもののあり方までも変化の対象として捉えているのである。人間はSNSによってその生活のあり方を矯正されてしまっていることを、その新しい文化の発生と定着から数年が経った後に気づき始めたのである。

 

そして、SNSに対してどこかたどたどしい接し方をしていたのがテレビ業界である。テレビを見ながらSNSで「実況」をする、という文化を明確に把握したのはここ最近になってやっとのことであり、そのはじめも、(どう考えてもNHKNEWS23の如くツイートをそのまま借りれば良かったのに)何を思ったのかフジテレビがTwitterの形式を取り入れた自社オリジナルのSNSを立ち上げそこでの投稿を画面下に表示するなどの迷走を繰り返していた(結局最近ではTwitterを借りる方法が主流となったが、そのために作ったと思われるサクラアカウントのツイートを画面に載せるなど、視聴者をナメた行為はまだ改められたとは言い難い)。

 

そういうSNSを知覚し得なかったテレビ業界、芸能業界も、まず演者であるタレント発信ではあるがようやく視聴者がSNSというメディアを所持したことによって、芸能界に対しての姿勢を変えてきたことを学び始めてきた、ということが、最近の連続した騒動の副産物として生まれた、と言っていいのではないだろうか。なぜタレントが敏感に反応しているのか、ということに関しては、彼らがTwitterなりインスタグラムなりで直接的に反応を受けることが増えてきたということが理由になりうるのだろうか。こうなると、スタッフはじめ裏方や事務所、放送局などの日陰的存在にいる人間のほうが逆説的に視聴者から来るダイレクトな反応から守られているのではないか、という疑問にも興味が湧いてくる。思った以上に変化はドラスティックであり、単一的な変化ではない、という恐ろしささえも覚えるのだ。

 

さて、ラジオパーソナリティたちがこうした視聴者、聴衆者の変化に対して分析の目、時には戦々恐々とした感覚を表明する中、むしろ安心するコメントを出してくれるのは「SNSに手を出していない人間」であった。自分のSNSアカウントを持っていない者の意見というのは、その理由はよく分からないものの、共通してハッキリしている、正直である(ように感じる)、堂々としているという印象を受けることが多い。彼らは直接的にユーザーから意見を受け取ることも、攻撃されることもなければ用語されることもないのだろう。それは一般感覚から離れてしまうことを意味しているのかも知れないし、仕事の内容によってはこの乖離が響いてしまうこともあるだろう。しかし、彼らはこの乖離をうまく武器にしている面があると思う。視聴者、聴衆者から離れた独特の感性、時にそれが「業界人らしい」と指摘される意見として受け入れられるのかもしれない。そして、今の時代に必要なのは、SNSによって自然と同質化してしまいがちな感覚に対し、別の角度から刺激を与えてくれる、独特で自分の世界を持つ、SNSをやってない人間の主張なのかも知れない、というところまで考えさせられた。

 

あとはやっぱり、芸能人がSNSをやる必要はないよなあ。アカウントがあるとしても、宣伝だけでいいし、スタッフが代筆(打)?するスタイルで全然かまわない。自分の感覚が古いのかもしれないけど、有名人と繋がりたい!なんて全く思わない。下手に一般人に擦り寄ったことを言われても超つまんねえだけなんだよなあ。とがっかりしてしまうだけだ。