Yuigo・ん・・・湿っぽい

モルック、システムエンジニア、その他趣味。大学生のころから使っているので、昔の記事は恥ずかしいし今の思想とは異なっていることが多いです。

コンテンツに対してはやっぱり1対1で向き合いたい、サヨナラ「実況」の文化

 

こんにちは。

いつもの倍の文字数ですが、言っていることの薄っぺらさはいつもとおんなじなので、つまりは薄く伸ばしただけということになります。

「実況」といっても色々ありますが、今回はみんなで同じテレビやスポーツを見て感想をリアルタイムに2chツイッターや色んな所で言い合う、という実況に関して書いています。アナウンサーの実況とか、ゲーム実況とかは全く関係ないよ。

 

翌日に何も予定が入っていない週末の日には、意味もなく徹夜をしてしまうことが増えてしまった。以前ツイッターをやっていた時になんかのbotが「夜更かしをしてしまうのは、今日という日に満足していないからである」とか垂れていて、その時はこのbotを作った奴はどんな不細工で臭い息を吐く人間なんだろうな、としか思わなかったが、今になってまあ分からない話でもないな、という風にも思えてきた。botを作る奴は不細工で息が臭いだろうという偏見に関しては未だに拭うことが出来ていない。ちなみに自分自身もbotを作ったことがあるので不細工で息が臭い。

この季節は夜が明けるのがとても早い。この時期の早朝というのはとてもいい時間帯である。日中は空気の暑さに辟易とし始めるが、早朝に関しては空が明るいのにも関わらず暑さを感じない。刹那ではあるが、夢のような環境である。

高校生のころは、夜に勉強をするのが面倒だったので朝早く起きてすることがルーティンワークと化していた。そのため、大抵3時か4時くらいには起きて、学校が開いて数十分しないうちに朝練もないのに投稿し、がらんとした教室で自習をしていたのが自分だ。あと面白いことが結構浮かんでくるのもこの時間だったので、今は全く有効利用できていないが、たぶん自分は早朝と相性が良い。

しかし、久しぶりに早朝を感じると、こんな時間帯に空が明るくなっているという状況は可笑しくてたまらない。それなのに大抵の人はぐっすりなのかと思うと、別に面白くもないんだけどニヤニヤしてしまう。自転車通学でよかったと思う。電車通学だったら、毎日登校のたびに、電車内でニヤニヤを抑えながらじっと強張っていなければいけなかったことになる。電車で出くわす変な奴の仲間入りだ。

 

タイトルのことになるが、別に自分はめっちゃくちゃお笑いが好きだという訳でもない。人並みだ、というところか。しかし、人並み、という基準もまた人それぞれ差があると思うのでやっぱりよくわからない。ライブに足を運んだことはないし、出待ちなんて行為は一生しないと思う。待って出会えたところで、何を言えばいいのか分からない。なにか相手の印象に残る存在にならなければいけないのか、という風に思っているところで、純粋に出待ちをしたい人とは決定的に本質が違っているとおもうので、まだまだそんなにのめり込んではいない。ラジオを聴いていてもメールを送ろうと思ったことはないし、メールが読まれるにはどうすればと考え始めたらおそらくラジオが面白くなくなってしまうだろうから、そういうところには手を出さず、常にじっと聴いていこうと考える。

 

高校生時代の話を少しだけしたが、高校入学と同時に携帯電話を買ってもらった。今でいうガラケーというやつだ。2年、3年になるにつれ、当時ビジネスの最先端の話としか思っていなかったスマートフォンを持つ生徒が増えてきたが、自分は大学1年の秋口に入るまで、初代を持ち続けた。

ちなみに今は2代目である。2代目はもう4年目になろうとしているが、電池パックを取り換えたら元気を一気に吹き返したので、まだまだ現役を退く気がなさそうである。

自分の初代を持った私は、以前から親の携帯を借りて閲覧していた2chとまとめブログを視るのが日課になっていった。なぜ家にPCもないのに2chの存在とそのころまだまだ一般層に知れ渡っていなかったまとめブログにたどり着いたのか、という経緯に関しては完全に失念してしまったが、だらだらと1つのニュースを繰り返し、油絵みたく素人目に見たら同じことばっかり、同じ話題を繰り返しているワイドショーよりもテンポが良かったので、よっぽど当時の自分には合っていた。

今となっては情けない話だが、まとめブログは世の中の押しつぶされてしまいそうな真実に立ち向かっている!とか本気で思っていた時代が半年くらいあった。本当に残念なことである。自分が高校生として正直に、斜めに構えず馬鹿できなかったのは3割方コイツのせいだと思っている。あとの7割は自分の問題だけど。

まとめブログは酷いな(その理由は今更語るまでもない)、と見切りをつけたが、その元である2chに関してはガラケーで閲覧を続けた。ガラケーなんかではまともに見られないだろ!と思われるかもしれないが、当時のiモードアプリではかなり快適に見ることができた。あれを作り出した人は本当にすごいと思う。色々な版を決まりもなく眺め、いろんな意見がぐっちゃぐちゃに整理もされず書かれている様子、明らかに馬鹿だなーとか証拠はないけど納得できることも書いてあって、その両者がなんの差異もなく同じ立場に置かれているのは純粋に面白かった。実生活では絶対にそんなことはない。馬鹿な意見はすぐさま淘汰され、なかったことにされてしまうからだ。

今だったら、Yahoo!ニュースのコメント欄みたく、一つ一つのコメントに良評価または悪評価のボタンがつくような仕組みがどんどん当たり前になっていくのだろう。しかしそれは、自然と独創性を奪うような仕組みで面白くない。日本人は美容整形をするのを否定するのが(最近は分からなくなってきたけど)主流だが、コメントに評価を与えるということは、何というか人間の心を整形するようなシステムに思える。

2chはいまだに(客観的に眺める分には)面白いし、今でも開くことはしばしばある。たまにまとめブログを懐かしみ開くことはあるが、あっちはどうも再評価する気にはなれない。個人的にアフィリエイトでお金がどうとかはどうでもいいんだけど(良い悪いは別として、堂々お金をもらっているネットニュースと質がそんな変わらないし、正直自分にはそんな関係ないし)。

 

しかし、2chで唯一といっていいほど馴染めないのが実況の文化である。テレビやスポーツ、ほか様々なイベントごとの結果や様子、そして巻き起こるありとあらゆる感情を、ユーザーが投稿、コメントすることによって、リアルタイムに他人と共有するという文化である。今ではインターネットの様々な場所で実況という行為をすることが可能になったが、その起源かどうかは知らないが、ルーツとしては2chの実況行為がハシリと言っていいはずだ。

自分も当初は実況に参加していた。書き込むことさえ面倒なのでしないが、テレビでスポーツ中継をしながらコメントに目を通したり、M-1グランプリでのネタの受け具合が、自分の感想とはどの程度差があるのかを確認したりしていた。

が、しばらくして実況なんかやってられるかと思うようになる。一言で言ってしまえば、テレビから流れているものが目には映ったところで全く頭に入ってこないのである。

テレビを見ているときは、勿論家で見ているので誰にも邪魔されることなくそれを眺めることができる。家族が邪魔をすることはあるが、それは大したことではない。舞台で起こっていることを、自分は最前列でその様子を見ていることになる。

対して、実況に参加しているときは、2つのディスプレイを交互に見やることを要求されている。テレビをみて、何かしらの出来事があれば、それに対する他人の反応を見るために2chを更新する。その作業を繰り返すことになる。ニコニコの形式であればコメントは勝手に流れてくるが、流れているコメントを読まなくてはいけないので、やっぱりテレビから目を離すことになる。これは避けられない運動だ。

そうするとだんだんと、テレビのテンポに追いつく、置いて行かれない、なんとかしがみつかなくては、というのが役目となる。こうなってくると、だんだんとテレビで起こっていることが分からなくなってくる。なんか笑い声が上がったけど何があったんだ?それが分からなくなる。

そして、それを確認するために2chを眺める。そうするとコイツら、wwwwwとしか書かないのである。それもそのはず、書き込みをしていない自分がペースについていくのに必死なのだから、書き込みをしている人間はもっと大変である。だからwwwwwとテキトーに打ってとりあえず面白い!という感情をなんとか伝えているのである。だから誰が何をして、または何と言ってウケたのかが分かるのが結構後になってしまう。こうして無条件に最前列にいられるという権利を私は次第に失っていき、前列に陣取っている人の頭をよけるために首を左右に動かしながら舞台をなんとか見なければいけなくなるのである。テレビをみているのに、会場の後方から米粒くらいの大きさでしかない演者を見つめるという馬鹿げた状態に陥っていることに気づいた。

それはバラエティ番組とか映画にドラマだけでなく、スポーツでも同じだった。大事な場面を見逃して、確認のために携帯を眺めているうちに今打ったホームランのVTRも見逃してしまうのである。こんなアホなことなんでわざわざやっているんだ、という呆れに変わり、実況という文化はしょーもないな、と若くして結論付けた。

 

そして、実況は必要ないな、という理由には、何が起こったのか見逃してしまう、ということと他に、単純に他人の目というヤツが全くもって必要ない、というものも私のなかには存在している。

 

まず、「他人の目」というヤツは、昨今よく言われてる「レビュー問題」とはちょっと異なるということを言わなければならない。「レビュー問題」と勝手に述べたが、これはAmazonなどによくあるレビューというものは要らないとか要るとかの論争のことを指す(自分の中で)。

レビューとひとまとめにに言っても、レビューにも色々ある。ある商品に関して詳しい内容、大きさ、色、形、ゴミとして出すときに面倒だとか付属の商品が必要ですよとか、意外と壊れやすいとか、そういう「情報」であれば大いに必要であると感じる。ゲームソフトだったら、プレイ時間はどのくらいかかるとか、ストーリーが王道なのかキャラボイスがあるのかとか、そういう客観的な情報ならあってもいいと思う。

ゲームだったら前情報なしでなんの予期も出来ない状況でやりたいから情報が要らない!ということもあるが、最近自分が買った座椅子であれば、自分の体格に合うかとか値段の割に丈夫だとか、ネタバレもなにもないので基本的に情報はあればあるほど便利、というタイプの商品も存在する。

しかし、レビューの中に紛れている「感想」は、はっきりいってほぼ、大多数の感想は必要ないと考えている。映画のレビューで面白かった、つまらない、というのは言うまでもないとして、主観的でそれは君の意見だよね?という感想はレビューとして存在するのは邪魔でしかない。むしろ、レビューを見なかったら自分の自分からの感想や教訓を得ることができた可能性があっても、下手に他人の感想を見てしまったからそっちに引っ張られて、ソイツが言う「ここがつまんなかった」を確認するように映画を観てしまう、なんてことが起こってしまうかもしれないのである。映画評論家のレビューでさえもそういう悪いことが起こるのに、素人のレビューに引っ張られた日には自分というものの小ささ、意思の弱さを痛感してしばらく立ち直れなくなる。だったら強く自分の感想を堂々と持てよ!なんて言われるかもしれないが、他人の感想というものは簡単に「あっそ」と拭うことができないのである。

そして、映画のレビューだったら、時間をかけて自分の感想をもってそれを塗りつぶすことができるのかもしれない。しかし、実況においては時間をかけることができない。瞬間的瞬間的に他人の意見が多数、自分の頭を侵略しに上陸してくるのがその原因である。いつの間にか自分は実況されている複数の意見の平均値のような頭になってしまい、実況の総意君がその後のストーリー、またはコンテンツの行方を眺めることになってしまうのである。簡単に言えば超つまらなくなる。わざわざ時間を消費してそのコンテンツに捧げる意味がなくなる。コンテンツを自分は見ずに、終わった後に実況の跡をたどれば同じ感想を持つことになるし、やっぱり自分として見ていないのでなんの意味もなかったな、ということになってしまう。

加えて言うと、私自身つねにちょっと捻くれたというかおかしな感想を持つことが多いのもちょっとだけ、理由である。

そして、実況に投稿するひとは、リアルタイム、新鮮な感覚を投稿することに命を懸けているみたいなので、その瞬間に起こった分かり易い変化やカメラの中心に映っているものに対して言及することが常識となっている。わざわざ10分前に出来事を考えつくして投稿したところで、そんな書き込みは受け入れられないだろう。そうなると、どうしても深みのない意見や感想で埋まることになる。まさにwwwwwのようなコメントばっかりになってしまうのである。wwwwwに関してはその新鮮さを求める極地のような投稿であり、もはやこいつ何も考えてないんだろうな、ということが浮き彫りになっている。

分かり易いこと、瞬間瞬間に見えるものだけを実況の対象にしているから、どうしても内側というか、本でいう行間の表現というものが無視されたまま実況は進んでいっているということが、初代を持っている私にはだんだんと分かってきた。そしてそんな文化は今でも変わっていないということも把握している。

(アニメというジャンルに興味がなく命もかけていない私が)去年唯一視たアニメであるアイマスシンデレラガールズアニメは、聞く話だが、それまでの765プロを舞台にしたシリーズに比べ随分と不評だったらしい。自分自身の感想としては、前シリーズに引けを取らない面白さがあるというものがあったので、どういう違いが感想の違いを生んでいるのか?ということを考えてみると、どうやら面白くないと判断した人は実況の文化に漬かっているのではないかと考えるようになった。あの作品はかなり裏の描写、キャラクターの動きや表情以外の方法でキャラクターを表現する割合が多いように私は感じたので、なるほど、こういう言ってしまえばちょっと回りくどい表現は、実況に参加しながら見ている忙しい人々にはなかなか見つからないのかもしれないな、という風に判断した。それ以外にも色々と理由はありそうだけど。ちなみにアニメを見る人がよく使う○○回という言い回しは滅茶苦茶嫌いです。なんかあの辺の人たちってかなり分断したり一言でまとめ上げたりってのが大好きだよね。

 

こうして、映画、ドラマ、本、お笑い、スポーツ、アニメ、そのたなんでもかんでも、結局1対1でコンテンツに向き合った方が、持った感想が一般とズレていようとそうでなかろうと、自分にとっては楽しいよね、という風に落ち着きました。いつものことですが、長いのに変な文章でごめんなさい。才能が平均よりもないんだと思います。あと考えながら書いてないんです。