Yuigo・ん・・・湿っぽい

モルック、システムエンジニア、その他趣味。大学生のころから使っているので、昔の記事は恥ずかしいし今の思想とは異なっていることが多いです。

第160回・復活くりぃむしちゅーのオールナイトニッポンを聴いて「やっぱりラジオは1対1!」

 

こんにちは。

 

今週中ごろに書いた、くりぃむしちゅーのANNが、金曜日の深夜に放送されました。

 

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内容について長々と詳しく書く気はそんなにありません。単純に最高だったので!

 

・・・とだけだと記事が本当に終わってしまうので、とりあえず、簡単に振り返ることにします。

 

 

m4usta13ng.hatenablog.com

 

 

約7年半という歳月を経て、芸能界でもより重要な役割を担うようになった、中堅、いや、もうベテランに差し掛かっている?くりぃむの二人。そんな彼らが、何度も何度も159回の、若き日の鮮やかな血の臭いさえ感じる情熱的なANNを、カセットテープだったらそれこそすりきれるくらいに聴き続けて空白を埋めてきた我々リスナーに対してお送りしたのは、まさしくリスナーを7年半前に引き戻して若返らせるような放送だった、ということは確かだと思います。

 

二人、特に老眼鏡をかけるほどに時の重みを体に吸い込んでしまった上田晋也は「あの頃のことなんて覚えていない」と断りながらも、現役当時に数々のコーナー内で生まれた珠玉の名フレーズや伝説的なやり取りを、フリートークの中で次々と展開。いったいどのコーナーをやるんだろう、と構えていた私は、少し角度を変えてやってきた銃弾に、いとも簡単に打ち抜かれてしまいました。でも上田さん、間違いなく往年のフレーズを言うときに「したり顔」をきめてたんだろうなあ。

 

思えば、これがリスナーに対して、(私はリアルタイムで聴いていたわけではないのですが)突然のタイミングで終了してしまった過去を踏まえてのメッセージのように感じていました。ラジオが終わり、(ほぼ)個人事務所に移籍し、新たなステップを踏み、それからはテレビ好きならば誰もが知る縦横無尽の活躍ぶり。上田さんの熊本県知事立候補や、有田さんの美女との熱愛報道なんかも、もしや冗談ではないのでは、と息を呑ませるような存在感を示しています。そんな彼らが、オールナイトニッポンに対して、ラジオに対しての、極上のご挨拶をしてくれた、そんなようにも感じました。ウンコチンコ番組だけど。

 

本当に、どんなに性格を悪ーくしたところで、どうやったってケチのつけようがない、最高の160回目でした。当時のジングルやCM終わりのLIO、懐かしのラジオネーム、あれもこれも出し惜しみすることなく、心待ちにしていた復活の瞬間、堰を切ったように流れ出た様にただただ感動と、それ以上に笑いがこみあげてきました。最高だった。

 

当時リアルタイムで聴いていたら、本当に7年前に遡ったような錯覚を起こすんだろうなあ。本当にそれだけが心残りでした。いや、それは自分の問題だけど。

 

 

 

「実況」は要らない!

 

そして、私は様々な所で話題を呼んだくりぃむANNに対して、これも個人的などうでもいい話なんですが、どういうスタンスで受け止めようか?と何にも偉くもないのに真剣に考えていました。

 

使っていないTwitter(閲覧用に、フォロー0ツイート0のアカウントがあります)を久しぶりに動かしてインターネットの反応を見ようか、はたまた、初めて有楽町のニッポン放送に行き、ヘビーリスナーたちと奇跡の2時間を分かち合うか、割と考え込みました。

 

ですが、最終的には、いつも通り、初めてくりぃむANNを見付けたときと同じように、一人で、家で、リラックスして聴くことにしました。

 

理由としては、ラジオと自分が1対1で向き合うことでしか、メッセージを100パーセント(若しくはそこに限りなく近い割合)受け取ることが出来ないと思ったからです。

 

単純に、ほかのテキストや情報が流れている中で集中できないとか、聴き逃してしまうとか、そういうこともあるのですが、自分の聴き方、メッセージの受け取り方、笑いどころが違ったりしても、自分なりの聴き方、受け止め方をしたいと強く思ったからです。

 

ネットの声を見るとか、(例え間接的であっても)誰かと一緒に聴く、ということは、「実況」という言葉で認識されていますが、実況の文化の良くないところとして、「正解を押し付けてくる」というものがあると思います。

 

ここは面白いと思うべきなんだよ、ここに対してはつまらないと受け取るのが普通だよ、これはこういう元ネタがあって、それをパクっているから笑えるんだよ、といった具合に、多数派の聴き方、姿勢を提供してくるのが、実況の特徴です。

 

しかし、「正解」という書き方をしましたが、正解というのは、あくまで見えない朧げな多数派が提示してくるものであり、それが本当に健康的で理性的な受け止め方なのか、ということに関しては、しばらく時間が経った後のことであれば可能なのかもしれませんが、瞬間的には、誰もわかりません。ただ多数であるというだけで、「真実」とは言えません。

 

私は、世の中のおおよそ何事に対しても、「事実」は「真実」と異なると思っています。この場合、多数派が押し付けてくるのは「事実」ですが、「事実」は、ときに、客観的に冷静に判断しても「真実」と一致しないことがあります。

 

そして、「真実」とは、この場合、「わたしの感動」ではないでしょうか。たとえ大衆と感覚がずれていても、個人的に面白い、いやそうでもない、むしろ不快だと、理由はどうあれ感覚的に理解した場合は、正負関わらず、それこそが、個人における真実なのではないかと感じます。

 

最近は、実況をみたり他人の感想に触れたりしながら、ラジオにとどまらず様々なエンターテイメントを摂取していましたが、どうやら良くないことだな、と思うようになりました。自分の真実が多数派の事実とどれくらいの距離があるのだろうか、自分の感想は本当に適切で健康的と言えるのか、いろいろな雑念が沸き上がってきてしまって、いつのまにかラジオから大爆笑が流れていて、その原因は分からずじまい、という失態を何度か経験してきたため、素直に笑うには、素直に感動するためには、何も考えず1対1で向き合っていくのが一番だ、という風に思うようになりました。

 

もっと別の理由として、ネットの意見や感想は平均的に馬鹿げているなあ、と感じることが殆どというのもありますが。無茶苦茶なことを言っているのに気づいていなかったり、なぜか裏事情も業界の構図もすべて分かった口で書いてあったりと、大抵はどうしようもないコメントばかりですからね。第一、実況なんて瞬間瞬間に言葉をスピード勝負で出しているので、誰も責任をもって実況に参加していない、ということを考えれば、なんとなく盛り上がるためのツールに過ぎず、真剣に向き合いたいという人にとっては何ら価値のない場所なんだ、ということは理解できると思います。

 

若干の荒療治なんですが、ネットのカキコミで嫌だな~というものを見たら、こういうのは大抵なんの取り柄もないブサイク、それもちょっと清潔にしようとか、せめておしゃれに気を遣おうとか、そういう向上心も全くないような、実生活ではバイト先で全然喋らず、周りから陰で酷いあだ名をつけられていることにも全く気づいていないようなどん臭いダメ男がネットの中だけではイキイキと書き込んでいるんだろうなあ、かわいそうだなあ、と、むしろ思いやりのこころを持つようにしました。そういうダメでどうしようもない人間が書いているなら理解もできるよね、ということです。これ書いてて自分自身にちょこちょこ矢が刺さっているのですが。偉くもないのに評論家気取ってて、自分が恥ずかしくないの?恥ずかしくないからやってるんだろうけど。嫌な奴に限って痛点とか羞恥心がないから困るよね。

 

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とにかく、1夜限りの復活、こんなことあり得ないと思っていたし、あるかどうかなんてことさえ考えていなかったので、記念すべき瞬間に居合わせることが出来た、と嬉しく思いました。また復活・・・!とか贅沢なことは考えません。たまーに、ANNを担当していた当時の雰囲気がちょろちょろっと漏れ出すだけでもリスナーだったら滅茶苦茶興奮するし。チケット取るの大変そうですが、いつかチャリティーライブにも行きたいですね。

 

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