こんにちは。Kindle購入により個人的な読書ブームが到来しているので、ブームが続く限り月単位で読んだ本について簡単にメモを残していきます。
2017年12月の読書
フィンテック(日経文庫)
「フィンテック」という言葉がなんのこっちゃ分からない人向け、といった立ち位置の内容でした。私自身、その「なんのこっちゃ分からない人」なので、こういった足掛かり的な本を一発で引き当てられたことはラッキーだったと思います。
広義のフィンテックは単純に金融に対してITが関わること、ITによってちょっとでも便利になればそれはフィンテックという言い方ができますよ、とのこと。そして、現行言っているフィンテックとは、ITの関わり方が深くなり、金融システムの在り方を変える力を持っているものを指します、というニュアンスでした(あくまで私が受け取ったニュアンスなので)。
個人的な話をすると、生まれてから今まで「お金に余裕がある」環境にいる自覚がありません。途上国の人々と比較したら~というヤツは抜きにして、無利子の奨学金を得ることが出来ていたり、友達の家の広さに毎回ゲロ吐きそうになっていたとかそのくらいで、相対的に平均を超えていることは無いかな、といった具合です。
こういった自分だと、中々「お金を増やすこと」にはあまり興味がなく、金融と聞くとそういうイメージばかり先走ってしまうのですが(なので仮想通貨も対岸のなんちゃらです)、フィンテックがカバーしている範囲はその部分だけではなく、とにかくお金が関わればそこにフィンテックの余地は登場してくることを理解することができました。
例えば、そういえば私はここ1年以上にわたって「マネーフォワード」のプレミアム会員であり、月額約500円を課金することによって便利な家計簿サービスをフルに活用しています。実はこれもフィンテック、ということは、読んだ後なら当然そうですよねと分かるのですが、読む前には分かっていなかった内容なので、フィンテックは凄く関係性の高い、距離感の近い分野であることが分かりました。
最近使ってみたいのは「paymo」という割り勘を現金ではなくクレジットカード(など?)によってやり取りできるサービスです。相手がいないのでアプリを落としたものの使えてはいないのが悲しい現状ですが、割り勘が現金無用になったらいよいよ現金を使う場面がなくなってくるなあ、と思います。まあ、現金を使っているひとをあざ笑ったり、現金なんていち早くなくなれ!と叫んでいる人ほど過激派ではありませんけどね。特に日本において現金の信頼性は高いので、無理矢理に電子化を推し進める必要もないのかな、と思います。ただ、個人商店でもクレジット決済をするハードルがフィンテックによって劇的に下がる未来もあり、いずれは電子化が完了することはあまり突飛な予想ではないことも伺えます。
というわけで、この本をとっかかりに投資や投機以外のフィンテック、ブロックチェーン技術にも触れてみたいと思います。本当は技術的な目線からアプローチしたいのですが・・・まだまだそっちの実力が足りません。
人工知能は人間を超えるか
人工知能は人間を超えるか ディープラーニングの先にあるもの (角川EPUB選書)
- 作者: 松尾豊
- 出版社/メーカー: KADOKAWA/中経出版
- 発売日: 2015/03/11
- メディア: 単行本
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人工知能についてそろそろ知識を集めださないといよいよだな、という時点に来ている、と個人的に感じたのでAmazonで検索して上の方に出てきて尚且つレビューでも入門編として問題なさそうな本を選びました。
人工知能学者という立場から、現在までに半世紀以上にわたって人工知能に関する研究は進んできたこと、何度も大きな壁に跳ね返されてきた経緯は一般社会の知るところではなく、こういった展開になるまでに紆余曲折があったことが分かります。
そして、それでも人工知能が空想上のハイテク未来社会を実現しうるような存在になりうるのかは未だに未知数であり、それは宝くじを当てるか否か、ということと同様に難関であることを研究者である作者が自ら語っている点は説得力がありました。
読んでおいてよかった、という点は、それまでの機械学習とディープラーニングの違いについて、細かくかつ平易に語られていた点でした。ディープラーニングによってそれまで人間が与えていた「特徴量」を、ディープラーニングでは人工知能自らが見出すという決定的な違いがあり、メディアで「人工知能」という文字列を目にした際は、それがどの段階の人工知能なのか、ということを踏まえて考える、受け止める必要性があることを感じました。とりあえず人工知能って言っとけ的なニュアンスは結構多いですね。
また、たまたまFMラジオで耳にしたことが、人工知能を盲目的に信用する危うさに関しての話題であり、そこで述べられていた「人工知能で割り出したから間違いないんです」という「押し」が増えることになる、ということは多くの人が危惧していることだと思います。結局私たちは人間のまま、人工知能に成り代わることは出来ないので、人工知能という存在とどう向き合うか、ということを常に意識していく必要がありそうです。
仕事休んでうつ地獄に行ってきた
日テレを中心に活躍していた記憶が多くの人に強く残っているであろう、丸岡いずみさんのエッセイ。
大学生で独り暮らしをしていた時期はテレビを観る習慣が全くなくなってしまっていたので、ちょうど丸岡さんのいきさつを今まで知らず、割と新鮮な気持ちで読むことができました。
私はそれに当てはまらないのですが、エネルギッシュな人ほど一気に来てしまうというのはよく言うんだなーと思いました。
体験談としては面白いのですが、鬱病の対策としての本、という位置づけではありません。あくまで、本人の体験を実直に伝えているということにおいて意味を持つ本ではあると言いたいですね。
個人的に、鬱というものが何かをトリガーにして起こり、何かがキッカケになって解消される、ということではないという考えを持っています。確実に言えるものは、時間が必要であること、原因を解決すればたちまち治るものではないこと、理論では抑えきれない身体的なものである、それくらいでしょうか。ドラマの世界ではあるトラウマを解決することによりすっかり元通り、という筋書きもありますが、そういうことってあくまであるケースの話でしかないのでは、と思っています。
難しいのは、鬱を経験すると「もう一度なるのではないか」という危機感が常にうっすらと存在している可能性があるということです。実際には未経験の人と可能性はそこまで変わらないとは思うのですが・・・。
おわりで~す
三四郎の漫才で2018年を迎えました。とはいっても、毎年言っているのですが、年を越したかそうでないかくらい自分で決めさせてほしいので、越したな~と思ったら2018年になったということにしておきます。