Yuigo・ん・・・湿っぽい

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【雑47】縦書く、下駄箱で、振り返って。【エッセイ3】

 

訪問ありがとうございます。

 

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勉強の発散として書いているので、内容のあることを書くのが難しい。内容のないことを書こう。

 

教育の現場でアルバイトをしていると、いやがおうにも自らの歪んだ時代を振り返らなければならない。青春という言葉を使うことは難しく、青という色、春という季節が許可制になっていたら、私の記憶にこれらの文字を添えることは許されなかっただろう時代だ。これらの時間に対しての文句や僻みは、これまでも言及しているところなので、被っているところは書かないでおく。

塾でバイトをしているのだが、私は当時塾に行ったことがなかった。小学校の際に通信教育を申し込んでいたが、届いたその月にカリキュラムを全て片付けて、数日後にはその内容が残っておらず、なにより、付録の雑誌(勉強には直接関係しない小学生事情などを紹介した冊子)に対して散々つまらない、つまらない、と繰り返していた姿を見て、両親は契約の延長を断念したそうである。TBSの日曜朝、元スポーツ選手が文句を散々述べている姿が食卓に映し出されると、母はそのときの私を重ね合わせるようである。高齢者と糞餓鬼が、なぜかそういうところでかぶってしまうのは皮肉なものである。

 

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著作:Lorenzo L M.

 

塾というのは、よほどレベルの高いところでない限り、勉強そのものではなくどう勉強したら身につくのか、という方法や習慣を教え込む場所なのだ、と認識するようになった。なにせ塾という世界はまったくわからぬところだったので、こういうふうに行われているのか、というのはいちいち発見である。私が塾に行かなかった理由は、勉強が特段出来ていたわけではないが、どの順番で勉強して、わからないものは何を使って調べて、どの参考書を買えば事足りるのか、一日何時間勉強しておけば最低限あの学校に受かることができるのか、朝勉強したほうがいいのかどうなのか、というのがなんとなく分かっていた。それを実行するかどうか、という問題はあるのだが、最低ラインを把握していたので、取り返しのつかないことにはならなかった。しかし、頭の良さは申し分ないのに、勉強のスケジューリングをする、ということに関して難しさを覚えている場合には、その点をケアしなければならない、という対処法が求められていて、その役割を果たそうとしているのが、多くの学習塾なのだろう、と思うようになった。

だから、塾を必要としていなかった、ということは分かっているのだが、それでも、私は当時塾というコミュニティが羨ましかった、ということもまた、事実である。

たとえば、多くの子どもたちは私服に着替えて塾に行く。ということは、きになる存在であるひとと同じところに通うことができれば、私服を拝見するチャンスがあるのである。それは中学生にはとても大きなことで、制服と質素なジャージしか知らない自分にとっては、いつも会っているひと、それは男女問わず、彼ら彼女らが私服を着ているというシーンを観られるのはとても大きな経験になったのだろうと思う。ほんとうに希少な場面で私服の同級生に会ったとき、必要以上に何を着ているのか、ということが気になってしまって、あまり、重要なことを記憶付けることができなかった思い出がある。自分自身の服装にも苦心してしまった。なにせ手本がなかったし、兄のも参考にはならなかったし、一番見るファッションの映像がめざましテレビの「早耳トレンド一番乗り」だったので、むしろ女性のファッションばかり頭に入っていた。異性のファッションを見るのはとても楽しい。同性の雑誌を見ると、なぜか腹が立ってきてしまうのだ。

とにかく、私は、一部のクラスメイトが互いの私服姿を認識して、前提としているのに対し、制服しか見られていないことが悔しくてならなかった。かと言って、塾に行くということは、経済的に厳しい(と親に吹き込まれ続けていた)事情のなか申し訳ないし、その中でもきっちり自己管理が出来るのだ、という意地に近い自負があったために、やはり、絶対に行くことはならないことだ、と言い聞かせ続けていた。

じゃいいじゃねえか、と思われてしまうだろう。こういうよくわからない文句を言い続けるのは自分の悪い癖だ。

自分が、学生時代に対してこのような些細な問題を抱えていて、今でも時折話の俎上に上がってくることに関しては、あのときは、今まで以上に、「それはそれだから、人それぞれだから」と割り切ること、妥協することができなかったんだろうな、と振り返る。今になって、多少妥協が出来ていることと、まあ仕方ないか、と思うようになったことに対し、楽になった、という気持ちの反面、面白くなくなったかな、自分、と感じてしまうのも事実だ。中学生のときに比べて、作詩をしたときにかく精神的な発汗量が減ったと思う。あの時は、社会の中に汚い全裸を晒すように、それでも晒さなければならないのではないか、と、下手ながらも、今でもやっぱり下手だが、そんな中でも体を削っていたような、そんな生命の表現をしていたと思う。それができなくなってきてしまったこと、まだチャンスはあるが、遠ざかったという確かで悲しい事実を目の前にしている。詳しくは言わないが、全校に対して作詩を晒して、笑いものになったこともあったし、クラスで問題になったことも、椅子を放り投げたこともあったけど、それはそれで、自分は人間の動物的な部分を根っこから引きちぎることが出来ていた、いまではだんだんと出来なくなってきてしまったことが、あの時は、私の中心に据えられた生き方だったのだ。実際問題、あれらの事件に対して私は反省をしていない。

「もう制服をテーマにした詩を書くのはやめよう」と思ったのが大体1年くらい前だっただろうか。しかし、書き始めて筆先に任せると、やはり、あの時を記憶を、それらはあまり綺麗乃至(ないし)劇的なものではないから、多少記憶を改竄(かいざん)して、そこにまつわるシーンを描こうとしている。それは、私服を知らないこと、そして、もう一度生命を引きちぎりたいから、だと自己分析をする。

 

最近縦書いていない。書いてはいるのだが、それは詩ではなく嘔吐に近い。

 

 

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読んでくださりありがとうございました。

 

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