元意識高い学生から見て、ゼミには2種類あります【雑70】
訪問ありがとうございます。
日記です。特にテーマありません。書こうと思ってるテーマはたくさんあるのですが、最近はまとまった時間がなかなか取れないのでリリースに至っていないという状況ですね。書きたい!という熱意があればあるほど、時間と手間をかけたくなってしまうものです。でも、さくっとたくさん軽い腰でかけることも大事ですよね。バランスが取れません。
そんなわけで日記です。テキトーに書きます。テキトーに書くとブログがまとまらなくなって見てくれる人がつかなくなるよ、と言われていますが、ここに関しては今更ですね。
ゼミの説明会があったりして
わたしが所属するゼミの説明会がありました。一個したの学年が入ってくるので、そのために、で、わたしはなにもしなかったのですが、(正直言って)ゼミ選びに失敗している人間にとって思うところはいくつかあります。
↓ちなみに過去記事です。
【端】今年はゼミナビ(#zemizero)をしようかしないか迷っている状況をそのまま言葉にしてみる。 - 深夜ジェネレーション
1.ゼミには2種類あると思う
ゼミと一口にいっても、その内実は様々。多くの人が思い浮かべるのは、「ゼミを通して成長する」という形でしょうか。ゼミの中で何かのプロジェクトや無茶な課題に取り組んで力をつけていく形。労力も多大に消費しますが、そういうカリキュラムを組んでくれるくらいなので担当の教授さんはとても親切に学生対応をしています。
対して、わたしがいるようなゼミは「ゼミで経験を共有する」形と言えるでしょう。それまでの学生生活である程度活発な動きを見せてきた学生が集まって、その経験や能力を試してみる、腕試しのような感覚を想像してもらえばいいと思います。だから、このゼミで成長するんだ、とか、それまで大学の講義のみに時間を費やしてきた、という学生には向かないかもしれない。
はっきりとした違いは、「ゼミを1番手にするか否か」というポイントです。前者は大学の中でゼミを頂点に持ってくることで、そこで得られる経験が最大化できると思われます。だから、先生に自分の成長計画をある程度任せて、目の前の課題に集中することができます。自分の計画ぐらい大学生なんだから、という意見もあるかもしれませんが、今の大学生はクソガキなので、このくらいがちょうどいいのかもしれません。
後者は、ゼミはあくまで試行の場ですので、すでに持っているものが他の場面でも使うことが出来るか?という検証をしていけばいいと思います。そして、成長計画、自分がこのあとどのように大学生活を締めていくのか、ということも自分自身で考えなければなりません。学生団体やゼミ以前の活動にも力を引き続き注ぎたいという学生、いわゆる意識高い系の学生は、こっちの方が都合がいいかも。
こういう感覚が共有されていれば、両者ともに効率的なゼミがつくられていくかもしれません。
でも、こういう感覚なんて共有されているわけないし、うちの学科は未だに知名度、先生の露出度がそのまま志願状況に反映されている、つまり学生がゼミのことをちゃんと調べているとは言えないので、色々と不都合が起こるんだろうなあ。
2.まず自分が何したいかだよね
すごい当たり前のことですが、どんなゼミがあるのか、ということを先に見るより、自分がなにをしたいのか、ということを考えたほうがいいです。先生の専門分野なんて「専門」というくらいなので細かいです。だから、自分の願望と一致するなんて考えないほうがいい。
自分の願望を達成するためにゼミを材料として利用する、という考え方をするべき。「冷蔵庫の残り物で料理をする」のではなく、「レシピを決めてから買い物に行く」ことをしたほうがいいですね。だって、そんなに切羽詰ってないでしょ?
この考え方をすると、「フィールドワークがある!」「こんなOBがいる!」「卒論はこんな感じ!」とかいう形式的な部分が如何にどうでもいいか、ということがわかってもらえると思います。海外行ったからってミスマッチを起こしているなら、ただの旅行になります。
3.当たり前ですが
当たり前ですが、先生の著書や論文といったものには触れてから考えているんですよね?今更聞くまでもないですね()
とまあ、こんな感じで雑に書いています。ちなみにいうと、わたしは全部出来ていませんでした。だから大失敗しています。内容的にも、人的にも。そもそもいうと大学選び、学科選びから事故っているので、就職に関してはちゃんと考えたいと思います。
読んでくださりありがとうございました。
【リンク】このブログを評価してください。