Yuigo・ん・・・湿っぽい

モルック、システムエンジニア、その他趣味。大学生のころから使っているので、昔の記事は恥ずかしいし今の思想とは異なっていることが多いです。

【雑】趣味を隠したことが無いのはなぜだろうという自分語り

訪問ありがとうございます。

 

私は趣味を隠したことがない。100%と言ったら嘘になるが。インターネットでは様々な誤解を招くので、こういうときもちゃんと「100%ではないんです」と言わないと、「100%隠したことが無いんだ」と思われてしまうのでこう書きました。回りくどい。

 

趣味を隠したことがない

 私は多趣味、だと思っている。動画をつくって、配信をしてというのが最近の趣味で、自分も思うくらいに変なイラストを作ったり、詩も書く。コンテンツを摂取するという趣味に関しても、この本が好きです、このゲームが好きです、ということはあまり隠さない。アイドルマスターは時と場合によっては隠したほうがいいのだけれどあまり隠さない。ちなみに、私の中の認識として、「隠さない≠ひけらかす」なので、今言わなくてもいいよね、とか明らかに変な空気にするな、という時は、自分の趣味趣向に関しては言わないようにする。言わないのは隠さないとは異なる、と思う。この点はあまり自信がない。ないのかよ。

 

いつからそうなのか、・・・おそらくは、中学のころからになる。

 

中学からずっと隠していない

 中学の頃から詩を書き始めた。なんでかというのはテレビで出てくるアイドルやJpopの一部が放つ歌詞に対しての嫌悪感が閾値を超えたから。今考えると一方でロキノン歌詞を礼賛していたので、まあ中学生していた。中身はもとより、そういう切欠で詩を書き始めた。

 

その中学生はとても衝動的だったので、思いついたら授業中だろうと違うノートに詩を書いていた。で、誰かに見つかる。最初はとても恥ずかしかった。だったらもっとコソコソ書けと反省するが、あることに思いつく。

「コソコソしなければ、恥ずかしそうにしなければ誰もからかったりしない」という当時の私が持っていた経験則である。

とあるテレビのいわゆるデブタレントは、そりゃそうなんだけど、自分が肥満であることに対して全く引け目を感じていない。それどころかカメラの前でポジティブを放射している。肥満はグルメだ、というステレオタイブな価値観を逆手に取り、グルメ番組や旅番組で活躍している、典型的なデブタレント。そう、恥ずかしそうにしていたり、申し訳なさそうにしていなければ周りも攻撃性を持って接することは無いのである、とこのタレントから私は学んだ、悟った。

学校社会もそういう場面は多いと思う。いじめや、そこに至らないまでも「からかい」とされる行為は、だいたい対象者の弱みに対して向けられている。運動が苦手とか、勉強が出来ずに授業の進行をせき止めるとか、容姿に関してとか、服のパターンが少ないとか、色々。攻撃する側は、対象が落ち込んだり泣いたり反抗したり逃げたりと、攻撃した効果が表れると嬉しくなってさらに攻撃する。

しかし、攻撃しても効果が無いようだと、攻撃する「張り合い」が無くなって攻撃が次第に止む。対象がその攻撃を受け流したり、対象自身がそれを弱みだと思っていない場合。「そうなんだよ~運動できないんだよね~」とニッコニコで言われたら、期待していた反応と違って面白くない、というケースがこれにあたる。

で、私もこれに習おうと考えた。誰かに聞かれたら「そうだよ僕は詩を書いているんだ」と素直に返すことにした。専用のノートを取られそうになったときは、今までは取られまいと抵抗していた。しかしそれでは、力負けして取られたときにノートが「覗かれてはいけないもの」に確定してしまうから良くなかったのである。だから、態度を変える。「どうぞどうぞ見てくれ」というリアクションを取る。扉絵っぽく書いた落書きも含めて最初のページから全部見てもらう。書いてある詩についてどんどん話をする。どんなときに考えたとか、なんで「涙」ではなく「泪」と書いたのか、売り込みに近い感じだ。

こんな感じで臨むようになると、自分自身も恥ずかしくないし、相手も攻撃性を持ってこちらには向かってこなくなった。内心では変なやつだと思われていようが、目には見えなかったし耳にもあまり入ってこなかったので平穏が守られたのである。

こんな感じで大っぴらに詩を書き続けていたら、林間学校の夜会(キャンプファイアーではないがだいたいそんな感じ)にて、自分の詩が読まれることになった。学年全体の前で読むのは流石にハードルが高かったので、実行委員の女子に読んでもらった。自分の名前は出てないと思う。クラスにはばれている程度だった。そういう「お墨付き」をもらったので、詩に関して攻撃されることは本格的になくなった。私が他の分野でも総合的にそこそこの生徒だったということも関係していたかもしれない。中学までは成績上位だったことも関係していたと思う。国語の成績と詩の内容は無関係だと歌謡曲の歴史は証明しているが。

 

堂々と趣味する≠ひけらかす、押し付ける

 おそらく、ここで味を占めたのだと思う。隠すようにコソコソ趣味に興じていなければ馬鹿にされることはない。再三言うが、馬鹿にするのと非難されるのは異なるので、自分に非がある趣味の嗜み方をすれば批判されるのは間違いない。例えば全年齢対象のSNSでR-18に引っかかる投稿をする、とか反社会的な行動に対してそれは違うよね、と来るのは当たり前のことだし改めた方が良い。それとの線引きは難しいが、厳しく望まなければならない。

 

というかもう隠せない

言ってしまえばこのブログに関してもこの姿勢は変わらない。Facebookからたどれるようにはなっているし、そしてブログからniconicoほかへ渡ることが出来るようになっている。プライバシーとかそういうのは別として、あまりここに対して引け目というかよくないんじゃないか、と感じていないのは、過去のこういった経験があったからに違いない。

というか後に引けないという部分もある。このブログには自分の個人情報のヒントというかそのものも山積みで、自分の本名はググれば某組織某機関の広報が出てくるようになってしまっている。既に。もう遅い。ここで自分はもう複数の人格というか自分を使い分けてインターネットするのは無理だな、と悟った。これからどんどん社会はそうなっていく。自分と様々なアカウントをダイレクトで紐づけするようになっている。神経質になれば防ぐことは可能だ(orだった)が、もう無理だと判断したから、自ら「私」とZO!を紐づけすることにした。

自分若しくは知り合いが下手をすれば本名だってなんだって漏れ出てしまうけど、おそらくは時間の問題だと思っている。諦める。そういうときに、恥ずかしがったり弱みを見せないようにすれば、多分なんとかなるんじゃないかと思っている。あこれ死亡フラグじゃない?

 

読んでくださりありがとうございました。