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Yuigo・ん・・・湿っぽい

最近の話題はラジオ。賛否のど真ん中を行く性格です。

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【雑】日記「二年前と今日」


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訪問ありがとうございます。テーマもない日記です。

 

もう自分にとってはどうでもいいことなのだが、この時期になると、というかこの日になると成人式のことを思い出してしまう。どうか頭から離れてくれと、水から上がった犬のように私は臍のあたりを軸にして頭を振り、こびりついた何者かを振り払うのだが、この日記を書いているということは、どうやら失敗に終わったようだ。

 

こんなこと書いたのに。

 

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私の悪い癖は本を読んだ後は、その話の中ではないが、物語や記録上の人物として生きようとしてしまうことである。数時間の間は区別がつかないのである。

外に出る前、部屋の隅で埃をかぶっていたブックカバーを開け、ブックカバーは捨て、中身を見る。アイディ発掘のヒント、的な本だった。今の自分ではとても手にしないようなタイトルに苦笑せざるを得ない。私が忙しく在ることを是としていたころの記憶、その一部がこうしてまだ部屋に幾つも残っていた。

で、その本は、意識の高い記憶は、二年前寄りも前に手に入れた本だった。地方で暮らすという生き方、ちょっとタイトルは違うがそんなような本と一緒に、Amazonで注文したものだった。まるで違う自分のようだな、とますます笑みは苦くなり、「笑っている」という範疇から表情は外れてしまいそうになる。

こういういきさつを持って、私は二年前にあった成人式のことを思い出す羽目になった。

 

一人暮らしの家から地元である埼玉県の旧浦和市(私の世代はぎりぎり合併前の名前をしっかり<覚えている>世代だ)はそう遠いところにあるわけではなく、帰るのは簡単だったが、いかんせん帰ってもすることがなかった。その時も特に予定を持っていなかったから、式の前日、ファッションに無頓着だった私は浦和PARCOで式用のマフラーを買い、夜に実家に戻り、雑魚寝のように時間を潰した。

式はまさに成人式そのものだった、という感じがあっているかもしれない。毎年毎年ニュースで目にする成人式のイメージとほぼ変わらなかった。私の想像通りにそこそこの有名人が挨拶し、想像通りに荒れた新成人が想像通りにある程度ハコに収められたある意味で大人しい荒れ方をしていた。私はその想像と自分の振る舞いを合わせるようにはしゃいだ。こうすることが正解だ、と言わんばかりにはしゃいだ。なにもびっくりするようなことは起きなかった。

ただ一つ驚いたのは、私の10列先くらい前に陣取った荒れ気味の彼らが、色とりどりの袴を着てそれはそれで華やかだったということである。その彩色にはあまり嫌なイメージを抱いていなかった。例えるなら、笑点みたいな色の並びだった。ただ黄緑色の彼はかなり元気だったので、そこは合わせていくべきだろうという不満が残った。

 

さいたまスーパーアリーナで行われた成人式は、しっかりとしたリハーサルの跡が残る式のパートが終わると、ステージ上に新成人が下りて、やはり私の想像通りに出身中学ごとに分かれて再開の時を過ごす、という時間になった。いやまあ楽しかった。それはそれは面白かった。様々な発見があり、写真を撮られ(自分ではほぼ撮ってない、こういうときに忘れてしまう)、昔お世話になっていた友達の母親にあったりもした。友人のお母さんが自分よりはるかに小さかったことに驚いた。たぶんその日のうちで最も時の流れを感じた瞬間であった。自分は自分そのもの以上に慎重を伸ばしてしまったのかもしれない。高身長でもない中肉中背の自分だからこんなことを思うのもなにかおかしいのだが、感傷に浸るような瞬間だった。

それとは別に、再開のタイミング、様々な人間が再開を探して右に左に忙しくする様子に、自分の少し苦手な瞬間を思い出してしまった。「二人組作って」というやつだった。

私は二人組が組めなくて最後に残ってしまって先生と組む、みたいなことには結局ならずに済んだ身なのだが、私は特定の人間、友人とだけ密接に付き合う、ということをほとんどせずに過ごしてきた。つねにその時その時という感覚だった。いわゆるスクールカースト、クラスのヒエラルキーみたいなものは小学校低学年のころから敏感に感じていたが、自分がその中に埋もれていくのは何か気味悪さを抱いていたため、そういう基準ではなく自分が居たい空間に身を置いていた。

だから、二人組作って、というタイミングは、そういう人間関係が整理される場でもあったから、誰かの一番ではなく、そして自分からも誰を一番、というものを明確にしていなかったから、最悪の展開は避けてきたもののいつも窮屈な思いをしていた。

最終的に、高校3年になってついに私はスクールカーストをネタとして利用することによって、この不快感から逃げることができるようになった。それでも、新成人という肩書きに反して当時の自分に戻ったあの瞬間は、これまで自分が箱に仕舞っていたいた、そういった違和感の類が、その拍子に漏れ出すことになった。漏れ出すというか、箱が横倒しにされて、ドバドバと流れ出る感じに似ていた。

 

この記憶の反芻?を切欠に、私は我に返ることになる。おそらく、1月の、久しぶりに浴びることになった早朝の微かな空気の香りと、よくよく考えれば普通なんだけど普通の日とは思いたくないという我儘な深層心理が混ぜ合わさってできた何らかの成分によって、当時の私は当時の私がどういうものだったのかを忘れていたのだと思う。そして、アリーナの圧縮された生暖かい空気によって我に返り、自分が精神的な問題を抱えていたということを思い出してしまったのである。

それから数時間の間はこの一度しかない出来事をしっかりと堪能しなくてはならない(もったいないから全部食べなきゃいけないというのと同じ)という義務感めいた感情と、自分の平穏を知っている一人暮らしの布団に立ち返ったほうがいいのではという疑いが葛藤を続けていた。結局は、後者の行動に出るほうが勇気の求められる行為であり、私はその空間、そして浦和の青に漂い続けることになった。

結局、あの日を通して私を取り巻く人間関係が大きく変化することも、私と故郷のとの距離感が変化することも、あの日がどこかに飛ばないように重石を乗せることも、今の今までしていない(が、偶々なのかまだ記憶に残っている)。そして、そんな日の二か月後、私は鬱屈に耐えられなくなり心療内科を訪ね、私の予想通りの、そして私が欲しがっていた病名を貰える運びとなった。嫌がっていたけど内心で望んでいたという、なんとも格好のつかないものだった。その足で(症状自体は重いものではなかったが念のため貰っていた)診断書をアルバイト先に突き付け、そのまま(気持ちは)直線距離で部屋に舞い戻り、私はそこから一か月の空白を選択したのであった。

もし、あの日の自分がそういう状況ではなかったら?という疑問は、心の一部屋に放り投げたあの日の記憶が風に吹かれていなくなるまで残り続ける。疑問に関する答えは様々な予想ができるが、考えれば考えるほど空虚は広がって食いしん坊になるので、どうせ、同じだったんだ、という決めつけを叩きつけることで、今後数年間も明確な回答を避け続けるのだと思っている。

今も二人組を作るのが怖い。

 

 

読んでくださりありがとうございました。


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