Yuigo・ん・・・湿っぽい

モルック、システムエンジニア、その他趣味。大学生のころから使っているので、昔の記事は恥ずかしいし今の思想とは異なっていることが多いです。

『ふともも写真の世界展』で自分をアピールするFacebookの謎現象が怖い

こんばんは。

 

アルバイトをしていると、おそらく新卒かそれに近い立場の社員が先輩から(理不尽に、というわけでもないんだけど)滅茶苦茶怒られていて、ミスしてるんだから仕方ないよなあと思う反面、自分がスムーズに就職までたどり着いていたらこの立場になっていたのかもしれないということも過り、どんどん複雑な心境になっているこの頃です。

 

さて、Facebookというのは摩訶不思議です。意識の高い、この意識の高いって言い方も当該の人たちにしたらそんな自覚があるわけじゃないんだろうけど、分かり易く、というかそれ以外に形容できる便利な言葉がないのと、今の自分からしたら相対的に高いので意識が高い、という言い方をしているんだけど、昔の名残からしてそういう人が多くなっています。そうするとやっぱり、本人たちの考え方からしたらちゃんとした文脈に沿ってそういう投稿がなされているんだけども、部外者の自分からしたらもう訳が分からない価値観というシェアがされる、ということが度々あります。

 

最近ではそれが『ふともも展』に行ってきました!という投稿です。ラジオでもたびたびその話題が聞こえてくるので存在は知っていたのですが(モノからしてFMを沢山聴いていたらもっと流れてきそう)、ずばりふとももに焦点を当てたイベントらしく、その内容はというと、HPをぱっと見てきました。

 

ふともも写真の世界展

 

大方の予想通り、女性のふとももにフォーカスした写真を展示する、というイベントのようです。

面倒ですが、先に言っておくと、このふともも展に対して悪口を言う記事ではないよ、ということです。イベントを立ち上げて実行するというのは何であれとてもエネルギーのいることですし、一般的にトリッキーなテーマであれば尚更、そこに対して理解を集めて、さらに、今回のように一見イロモノなんだけど真剣だよ、みたいなテイストはテーマをしっかりと分かってくれる人は少ない。街を歩く女子中高生が、イベントの名前だけ聞いてキモーイと頭ごなしにけなすのが簡単に想像出来てしまうのですから、こうやって世間の注目を集めたということは凄いんだろうなあと感服する、と嘘ではなく思っています。

第一中身を見ていないから、悪口の言いようがないよね。

ちなみに、Google画像検索したら女子学生の制服とふともも、という組み合わせばっかりだったので、もしそれが展覧会でもそうだとしたらどうなんだろう、という気持ちになりました。本当に太もも好きなら様々な年齢層のふとももを取り扱ってこそふともも好きなんじゃないだろうか?まあやっぱりイベントの中身を見ていないので、推測だけではなんにも言えません。

 

ただ、ただですよ、私が言いたいのは、このふともも展を見に行ってきたよ!ということを堂々とFacebookにシェアする、という行為なんです。これに関しては一周考えてみたんですが、やっぱり意味わかんねえ!ということに行きつきました。

 

既に、私は『ふともも展に行ってきました!』というFacebookの投稿をしてきた人を4人ほど知っています。誰かということが分かってしまいかねないのでスクショはしていませんが、どの人も同様に、ポジティブな感想を付け加えていました。

で、なんでそれが理解できないのか、ということなんですが。

まず、ふとももを好きだ!って堂々と宣言しているわけじゃないですか。それは変態宣言ですよね。どう考えても。「ボクは常日頃からふとももに対して特別の愛情を抱いているよ、そんなふとももへの愛が大きすぎるがゆえに、ふとももの写真がズラリと並べられた展覧会に足を運んできたんだ」ということを世間に対して公表しているわけです。

これが自分のパーソナリティを商品として生計を立てる芸能タレントや有名人であるならば、仕事をするときの話のネタとして大いに使えるのですが、一般人がなんでこんなことをわざわざ大きな声で言うんだろう、ということが理解できません。

ふとももが好きだ!ということで週末を1日潰した、というくらいの変態であるならば、私が女性だったら警戒すると思います。少なくともその人と食事などで会う、というときには服装に気を付けたいですね。

 

あと理由としては、「ふともも展に行くほどの変わり者」ということで自分自身をプロデュースしようとしている可能性がある、ということに対してゾッとする、ということです。怖い!

Facebookには、あんまりネガティブなことを書かない、というのがどうやら暗黙のルールになっているようで、どいつもこいつも良かったこと、感動、達成、人生の大イベント、旅行、とにかくポジティブな文章や写真で埋まっています。さすがにインスタグラムみたいに自撮りをあげるような勘違いはいないけど。人によってはそんなどうしようもない奴が友達のなかにいるのかもしれませんが、その点では私はまだ運が良いですね。

ちょっと話がそれましたが、ふともも展に行ったことを投稿にまでするくらいですから、おそらく当の本人は「ふともも展に行った俺はセンスがある」とか思っちゃっているのではないでしょうか。独特の感性を持ってミステリアスな生活の一部を露出して、他人の目を引きたいのかもしれません。

言ってしまうと、ふともも展に行く奴のセンスは、良くもなければ悪くもありません。普通だと思います。ふともも展に行くのはそこまで変わった行動でもないと思うし、男性なら誰しも人生において一度はふとももにドハマリする時期が来るのだと言われています。

ちなみにですが、かの作家、安部公房はある作中で、(女性の)脚というのは性器を閉じる蓋である、的なことを書いており、やたらと頭に残っているため、それを読んで数か月は他人の脚が目に入ることが、これはとても悪い事なのではないか、最悪捕まる可能性があるのではないか、というくらいにビクビクした思い出があります。今はなんとも思わなくなりました。所詮他人の体つきなんて石ころのフォルムと変わりありません。

もしも「こめかみ展」に行ったのならば、その人はオリジナリティがあると言っていいと思います。しかしふともも展ではまだまだ有象無象の中に埋もれていって溺れていってしまえばいいと思います。最近では「サイコパス」という言葉がやたらと使われるようになり、「やばい奴」になりきることがトレンドになっている感があってそれもそれで気持ち悪いなあと思うのですが、ふとももほどでは全然サイコパスにはなれません。サイコパスに殺される一般人です。サイコパスになりたいのならば、「抜け落ちて3年が経った陰毛展」に行って、それをFacebookに投稿すればいいのだと思います。みんな本当の意味でのヤバい奴だと断定して、だれも近づかなくなって名実共にサイコパス達成です。

 

ともかく、ふともも展に行ってきたよ!という投稿、それに対してなにそれーwとか変なのーwとか言ってるコメント含めもろもろ、アピールの規模がしょうもないなー、せっかくアピールするなあらもっと練ればいいのに、と思ったことを書きました。

これを言っちゃあお仕舞なんですが、結局人気のある人間だったらこんなしょうもない投稿をしたところで周りの評価が悪くどころか、元々高評価なのでますますよくなる一方なんですよね。意外な一面なんて言っちゃって。だからふとももなんて普通なんだよってことなのに。

で、たぶん私みたいなどうしようもない泥を主食にしている疑惑があるような人間が同じことを言ってもますます非難されたり、そっとブロックされたりするということも、小学生以来の経験上なんとなーく分かっています。結局誰が言うかなんですよね。人気者だったらとんでもない発言も正論になるのがこの世界の常識です。それに対してこれからも歯がゆい思いをしなければならないのです・・・。