【エッセイ6】エロが基本的に嫌いだ
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エロ、というやつは正直あまり好きではないが、かと言って自らの生活から完全に排除しているわけでもない。エロがなかったら私は死んでしまう、というのは多くの人々に共通していることである。まあ、幼い子どもたちだったりは除かれるし、世の中には様々な人たちがいるからまとめて言うことはできないが。
エロにも嫌いなエロと好きなエロがあるのは当然のことだと思う。別に性癖を披露するわけではなくて、そもそもそれに対して需要はないだろうし書かないが、私はエロが普段の生活に侵入してくることがとても嫌いだ。
具体的にどういうことなのか、というと、例えば、アダルトでも何でもないSNSにおけるエロの表現。botからエロ画像が平気で投げられたり、TwitterやFacebookになると突如として下ネタをpostするひとびとは本当に嫌いだし、それは本人が普段どうだから、ということは関係なく嫌いだ。「好き」という言葉をわざわざ「×起した」とか、「濡れた」という表現に置き変える必要がわからないし、表現の自由という盾に対しても、いや、デリカシーとか常識とかそういう部分には対応できてないじゃん、という感覚がある。また、tweetdeckを利用している私に固有の問題かもしれないが、tweetdeckはフォローしているユーザーがどんなツイートをお気に入りに登録し、またどんなアカウントを新しくフォローしたかというものが丸わかりになってしまうので、時々驚いてしまうこともあったりする。それ以外にも、進んで見ることはないが、会話のツイートなんかも基本的には誰にでも見られる形になっているし、たとえアカウントに鍵をつけていても、スクリーンショットなどの行為によって、Twitterにおける行動はほぼ全て公開される余地があると言っていい。こういうことを考えると、飲みの席や親しい同性同士の会話において繰り広げられるようなことをSNSで行うのは、とても危険性をはらんでいるということが判明するのである。
だったらオフラインの現場では大丈夫なのか、というと、私個人は苦手にしている。エロというプロダクトに嫌悪感を抱くわけでなく、それを誰が言った、という情報に対してアレルギーに似た反応を示してしまうのである。これは情けない話かもしれないが、どうにもこうにも苦手なのである。出来れば聞きたくはない。誰かが本気で怪談を苦手にして憤怒するように、私は「誰が」という文脈の付加があるエロが苦手だ。
派遣バイトをした帰り、会社の車に乗って帰るのだが、なんでか知らないが話題がエロに至ることが多い。私が会話ベタなのがいけないのか、大学生を相手にしているからなのか、若いうちに沢山遊んだ方が良いとか、若いうちに遊ぶことを覚えなかった誰々は年を食ってから風俗にはまりだして。とか、正直欠片も興味がない話に移ってしまうのである。大学生、男、という情報によってこういう話をされているなら、それはとてもさみしいことだが、派遣社員という肩書きも私にはあり、テニスの壁打ちのように、会話の壁として扱われているのか、と考えるとまあ仕方ないことなのか、と思うことが出来る。
私はエロがとても苦手である。しかし、エロがこの世からなくなればいいと思っているわけでもない。現に、私は不定期に深夜ラジオを聴くことにしているが、深夜ラジオというのは芸人が普段できない下ネタトークをすることが魅力のひとつになっているので、この場面では下ネタによってアホみたいに私は笑っているのである。結構なものもあるので、具体例は出しづらいが。とにかく、私のエロに対する構えは変としか言いようがない。
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なんというか、私が複雑になってしまったのか、多くの個人がこのような複雑性を抱いているのかはわからないが、最近、エロに限らず、ある大テーマに対する「好き」が、その下にあるすべての小テーマに対する「好き」にならない気がしてきた。これは、音楽に例えて、ロックが好きだからロキノンに出てくるバンドはみんな好きにつながらない、ということを考えれば分かることだし、お笑いが好きだから芸人は何でもかんでも好き、ということには繋がらないから、まあ普遍的なことであると思うが、時折こういう複雑性を無視して会話をしてしまうときがあるから、なんとなく気をつけたいな、と思った、ということです。
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