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元意識高いブログ・晋也ジェネレーション

最近の話題はラジオ。ニコ生を1年で脱出し嫌いになったり、リア充/オタクワールドいずれにも住めないブログ。

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なんで自撮りを理解できないのか少しだけ考えてみた、ほか


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こんにちは。軽い気持ちで書いていきます。

 

 

オリンピックがなんだかんだ言いながらも開幕して、最初は同時多発的に始まった様々な競技をテレビもネットも動員して観戦していたんですが、すぐにメディアの「日本の選手がメダルを取りました!」という大騒ぎが始まって、何回も何回も同じ映像を流し始めるいつもの不快な光景が始まってしまったので、すぐにオリンピック熱がシュンシュンシューンと萎みました。

 

あとオリンピックでもう一つだけ言うなら、日本の選手を応援する気持ちで言ってるんだろうけど、「金メダルの可能性は無くなってしまいましたが、まだ銀(銅)の可能性はあります」とかいう言動はなんか違う!なーんかイラっとしませんか?共感できる人がいたら今度錦糸町あたりで是非飲みましょう。

 

 

 

とりあえずアイドル的な集団を結成する野球界の風潮

 

いきなりタイトルを無視していきたいんですけど、別にプロ野球チームがアイドルもどきの集団を作り出すことって義務ではないですよね?

 

最近、どのチームも何かしら若い女性をかき集めてとりあえずユニット組ませようぜ、みたいな雑な現象が起こっているような気がして・・・いや、自分が気づいただけでもっと前からあるにはあったんでしょうけど。

 

なんというか、その「とりあえずやっておくか感」がホントに無駄というか、誰も得しないというか。球場に来た人も良く分からないグループの登場に誰?ってなるし、球団側も本格的に売り出したいのかそうでもないのか中途半端な宣伝をするし。

 

当のアイドルもどき本人たちも、本気で芸能人として成功しようと思っているならどう考えてもそれは回り道なんじゃないかな~という気がして気の毒だし(んなの勝手だけど)、

 

プロ野球界と懇意にしたいマスコミも、得体の知れないグループが登場したから、売れる匂いが全くしないけど大人の関係を保つためにもアリバイ的に取材しなくちゃならないし、

 

という感じで、野球中継の5回7回終わりに登場する件の集団を見かけるたびに、どうもなんだかな~と阿藤快(改名前は阿藤海)が憑依してしまうのです。ほんとうに、「とりあえずアイドルとか○○ガールズとか結成しとけ!」っていうノリは不幸せばっかり生んでいるような気がします。

 

って考えていくとゆるキャラはもっと酷いんですよね。今言ったことの比じゃないくらい「とりあえずやっとけ」のノリが凄まじいから、もう日の光を浴びてはいけないレベルの”傑作”がボンボコ誕生してしまうという惨劇が日夜繰り返されています。

 

ゆるキャラ作る人とか組織とかって、明らかに「ゆるキャラ」の「ゆる」というイントネーションにべったり頼っちゃってるのが分かりますよね。「ゆる」だから何してもいいんでしょ?という感じ。別に「ゆる」って「酷くても良い」ってことじゃねーからな、そういう意味じゃないんだよ、っていう事じゃないですか。そういうのを見ちゃうと、世間舐めてんなーって思います。

 

商店街のじいちゃんばあちゃんとか、アマチュア中のアマチュアが血迷っている感じがモロに出てきて、むしろ、東南アジアのゲテモノ料理みたいな謎の需要が生まれつつあるくらいだから、なんでもかんでも突き抜けると次の展開が生まれるのかもしれないなあとか思っちゃってます。

 

だから、プロ野球チームが作るアイドルも、逆手を取って、野球以外のことを生まれてから考えたことがないオッサン達がアホな夢見てアイドル作っちゃいました、的なコンセプトで思いっきり酷いプロモーションをしてみればいいのではないでしょうか。

 

野球って日本における特殊性、不条理、利権社会の権化みたいなところあるじゃないですか。これは友達が言ってたのを聞いただけなので自分がそう思ってるわけじゃないですけど!

 

プロ野球界のスキャンダルって、なんか色々な組織が協力してやたらさっさと無かったことになる感じ、超面白いですよね!って友達が言ってたし。

 

で、さらに酷いのが、そういうモヤモヤした部分のを開き直ってギャグに出来ないっていう怖さ。もっと堂々としてりゃいいのに、そういうところがアンチを生み出すんじゃないかなーとか言ってました。自分はそれはどうなのかな~って立場ですけどね!

 

 

 

自撮りが理解できない

 

ということでタイトルを回収します。

 

もう自撮りって批判の対象から外れかけてますよね。それだけ世間に浸透しちゃったし、最初なんだそれ気持ち悪い!とか自撮りにプリプリしていた人も、もうキレる気力を無くしちゃった、それくらいに別に珍現象という立ち位置ではなくなった、というのは自分も理解しています。

 

理解できない、とは言ってみたけど、だからやめろ!なんて全く思っていません。

 

よく、普段の会話でも自分は「○○は理解できない」という形の言い方をしてしまうのですが、それってこの世から消えてほしいということ?止めてほしいということ?という捉えられ方をしてしまいます。勿論自分の言い方が、どうぞ誤解してくださいと差し出してしまっているのは分かっているのですが、そこまで傲慢じゃないよ、ということはこの際言っておきたい。

 

「理解できない」というのは「自分には分からないなあ」ということだけ、本当に分からないということだけであって、自分にとって分からないものは自分の視界から無くなってほしいなあとは思いません。それはワガママだし。

 

言い方を変えれば、「理解できないAという文化、風潮は、自分に向けたものではない」というただそれだけのことなんだと思います。例えば、ディズニーは自分に向けたエンターテインメントではないし、ニコニコ動画は自分に向けた空間ではない、それだけのことです。あっち側も自分みたいな捻くれ者に対して、好きになってください!とは思ってない筈。

 

そういうニュアンスで理解できない、ということを断ったうえで、なんで自撮りのあの感じがなんか違うなあ・・・と思ってしまうのか、を考えてみました。

 

 

 

1.セルカ棒がデカすぎる

 

自撮りをする人の中にはセルカ棒、自撮り棒を使う人もいるじゃないですか。その棒が邪魔だな~と思っちゃうというのが、まず、ポッと出てきた理由です。

 

そりゃ勿論小さく持ち運びは出来るんだろうけど、使うときにわざわざ虫取り網みたいに伸ばしてスマホをカチッとはめ込んでって順を追っていくわけですよね?そこまでしなきゃいけないか?という風になってしまう訳ですよ。別に手で持って撮ってもクオリティは変わんないでしょ?って。

 

いや、腕のリーチだと画角に全部収まらないんです・・・とか言うかもしれないけど、だったら道行く人に撮ってもらえば良いんじゃないですか?まあ治安の悪い海外旅行とかだったらそんなことできないかもしれないけど、日本国内だったらまあ大丈夫でしょ。まさか「すみません、撮ってもらっていいですか?」が言えないからこの棒買いましたとか言わないよね?

 

値段的にも、大学の生協で見たのが1000円ちょっとだったんですが、その価値はないですね。その意味でもデカすぎる。

 

 

 

2.オリジナリティが無い

 

自撮りってども画像をみてもなんでもかんでも似たような出来になりますよね。あれに関して自撮り愛好家の皆さんはどう思ってるんだろう。

 

中途半端に自信のある人の自撮りって全部上から、ちょっと斜めにして撮ってるじゃないですか。おそらくあれが一番良しとされている角度だという事なんでしょうけど、それってつまりは、その例の角度からじゃないと戦っていけない、ということと同義なんじゃないですかね?

 

あの角度の自撮りを視たら、「この人はきっと正面から見たら全然違う感じなんだろな」と思うようにしています。最悪、もうその人でもないんじゃない?別人なんじゃない?という可能性も捨てていません。

 

もうこの飽和状態なんだから、もっと自撮りするにしたって仕掛けていってもいいんじゃないですかね、と思います。そう考えると免許証の写真って永遠にあの感じであり続けるべきですね。免許証の写真から真摯なジャーナリズムを感じます。

 

 

 

3.自分を撮る意味が分からない

 

もう本末転倒なんですけど、そもそも、自分が写真を撮るってときに自分を画角に収める、という考えからしてまったく理解できません。

 

例えば、友達のAさんと食事をしました!というときには、友達のAさんだけ撮ればいいと思うんですよ。

 

あと、どこどこに行きました!という時には、その風景だったり建物だったりだけ撮れば事足りる。

 

という感じで、おそらくこれは少数派中の少数派なんだろなあ・・・と思いつつも、自分を撮る、というそもそもの意味が分からないんです。誰かに撮ってもらえば良いわけですし。

 

あとでスマホの写真を見返してるときに自分がいたら、うわあ・・・ってなるし。ということで全く理解できないんですよね。

 

 

 

その他、自撮りをしているときの面構えが端から見ると馬鹿馬鹿しいとか、色々ありますが、結局は3つ目の理由になっちゃうというクソブログでした。


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