Yuigo・ん・・・湿っぽい

モルック、システムエンジニア、その他趣味。大学生のころから使っているので、昔の記事は恥ずかしいし今の思想とは異なっていることが多いです。

偏見しかない嫌いなものリスト②「テレビのツイッターコメント、クリスマスにリア充にキレる奴ほか」

 

こんにちは。

今回も、偏見たっぷりで嫌いなものを何個か上げていきます。

予防線を張るわけではありませんが、だいたいのものはちゃんと理解したらそこまで嫌いではないものばっかりです。一部を除いて。

人間関係も一通り交流を持ったら嫌いにはなりませんよね。一部を除いて。

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①テレビで流れる「ツイッターのコメント」

 

これは何のことかと言いますと、NHKだったらニュースチェック11の枠ですね、この番組内で画面の下部に絶えず流れているツイッターからのコメント欄が滅茶苦茶嫌いです。勿論、ほかの局、ほかの番組内でながれるこの手のテロップも嫌いです。

理由はいくつかあって、一つは単純に疲れてしまうということ。テレビっていうのは概して字幕やワイプなど色々と別軸の情報が同時に流れているので、どうしても集中がし辛いということで疲れてしまうのですが、Twitterコメントはその中でも速いテンポで流れ、他の要素よりも余計チカチカして目を痛めている気がします。

もう一つは、思わず読んでしまうということ。Twitterのコメントは、番組の中で別に本筋ではないので、はっきり言って積極的に読もうとしなくてはいい内容なんですが、前述のとおりパッパパッパと新しいコメントに変わっていくので、思わず目が行ってしまうんですよね。それで大事な映像を見逃したり天気予報を見逃して結局自分で調べなおしたりするんですよ。これは参っちゃう。

そして、一番大きな理由が、当のコメントがクソつまらない、クソしょうもないということです。これが言えれば満足。

番組側が指定したハッシュタグをつけているツイートの中から画面に載せるものを選ぶのが主流ですが、番組側としては載せたコメントのせいで物議、炎上を引き起こすことは避けたいというのが当然の心理です。そうすると、毒にも薬にもならない、言ってしまえば予想の範囲内といった感じのコメントしか流れないようになっています。これなら番組についている解説員やコメンテーターだけでも同じ仕事が出来るし、要らないのではないだろうか、という感想しか持ちません。

それでも残り続ける理由としては、若者のテレビ離れ、というよくよく考えてみたら本当にそうなのかそうじゃないのかよく分からない呪文のような言葉が制作側に対してこびり付いているからなのではないでしょうか。だから、ネットの意見を取り入れているということをポーズだけでも取らないといけない、その結果がこういう要らない、意味のないテロップなんじゃないかと思われます。

「若者のテレビ離れ」って個人的に絶対ウソだと思うんです。NEWSWEB時代はこの画面をスクショしてTwitterに挙げてた奴が一杯いた思い出があります。テレビはつまらない、必要ないとか言ってる奴ほど、こういうネットや主流でないポップカルチャーがテレビに取り上げられたときにはしゃぐんだよね。嘘つきじゃん。

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一方で、「テレビのネット離れ」は水面下でずっと前から始まっていて、そろそろ表面化、本格化するのではないかと思っています。ラジオを聴いていると、日ごとに話し手が自らのちょっとした言動を拡大解釈して混乱を誘発させんと躍起になるネットニュースや色々な勢力に対して苦言を呈したり皮肉をぶつけたりするシーンが毎度のように訪れている気がします。

それもそのはず、その話し手たちにとって敵であった勢力が以前と比べどんどん増えており、そのほとんどがネットを主戦場にしているためです。残念ながら、ネットを嫌いになる、ということはこれでは仕方ないことです。いっそのこと、ネットの様子をうかがわずに炎上なんてなんのその、なりふり構わないエンターテイメントの爆弾を落としてSNSを焼野原にしてしまえばいいとさえ思っています。

 

余談ですが、自分のTwitterコメントをテレビに載せるのはあまり難しいことではありません。先ほど書いたように、毒にも薬にもならない予想の範囲内に収まるコメントを早く、コンパクトに連投していれば、簡単に採用されます。フォロワー数とかこれまでのツイート数に関しては、その都度アカウントをチェックしていないようなので心配する必要はないはずです。5回くらいチャレンジして、毎回採用されました。思ってないことを言っているので嬉しくもなんともないんですけどね。

 

 

 

②クリスマスにリア充にキレる奴

 

リア充という言葉にも色々と解釈の仕方があるようで、個人によってどういう意味というのが違ってくるようなんですけど、この場合は後発的な意味である「恋人、または恋人になりそうな中の良い人がいる奴」ということにします。

ちなみにいうと、こういう意味の変遷がある現代語の話題で、「最初はこうだったのに世間のほとんどは間違った使い方をしている!」とか喚く馬鹿も嫌いです。他人と楽しくコミュニケーションをすることを放棄しているので関わる必要もないですね。

で、クリスマスの時期になると毎回のようにそんな幸せな人々に対してキレるクソみたいな人間が続出するんですけど、だったら自分もそっち側にいったらいいのに、という話ですよね。ルックスに自信がないから絶対無理という訳でもないし。

大体恋人がいるような人はなんの努力もしないでリア充になれました、なんて人はそうそういない。本当にモテちゃって困るわーという一握りに限られます。大抵は自分の願望をかなえるためにあの手この手で気を引こうとか考えているんですよ。それをなんの努力も行動も起こそうとしないで勝手にイライラしてて。もしも身内にいたらその存在を隠すレベルです。いや全然知りませんって。恋人がいた方が幸せだ、という価値観を共有しているからこそ怒ってるんですよね。

素直に恋人がいるってうらやましいなあとか言えないから怒っちゃうんでしょうね。そんな子供には恋人はなかなかできそうにない。町中ではしゃぐな!とか言ってるけど、クリスマスくらい許せる器の大きさがないような人間に魅力もクソもないよね。

 

 

 

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特にありません。

 

 

 

また今度続きを書きます。