Yuigo・ん・・・湿っぽい

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【エッセイ11】「コミュ障です」って言うと、嘘だ!と言われるのは、コミュ障の定義が分かっていないから。


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※今回の記事で、「コミュ障」という言葉をバンバン使っています。これは差別的な言葉にも見えるし、使わないほうがいいのではないか、と思いましたが、使わないと文章が全く伝わらない、ということもあったので、そのまま書かせていただいています。気を悪くされるようでしたら、本当に申し訳ありません。

 

 

*  *  *

 

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昨日はコミュ力に関するを書きましたが、そのコミュ力という言葉がますますわからなくなってきた。

 

 

【おすすめ記事】私たちはやっぱり得体の知れない「コミュ力」を鍛え上げなければならないらしい【雑62】 - 深夜Generation

 

 

というのも、私は「コミュ障」ということを自称しているのだが、会う人会う人にそのことを言うと、「嘘でしょ?」とか「そんなことないよ」なんとか言われてしまう。

 

 

 

そして、文末にもこの分類は再度登場するが、コミュ障という言葉には捉え方によって大きな違いがあると思われるのではないか、ということを言わせてもらう。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「コミュ障」とは、

 

①プライベートな空間・条件のないコミュニケーションにおける苦手意識

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②形式のある空間・会議、ワークショップなどの目的あるコミュニケーションにおける苦手意識

 

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の2種類に分類できるのではないか。

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コミュ障じゃないよ、と言われているのでそれは嬉しく思うことなのだろうが、自分としてはコミュ障ということをしっかり認識して欲しいため、逆説的にしょぼんとしてしまう。変な性格だ。

 

おそらく、コミュ障という言葉についての認識の差がそうさせているのかもしれない、という推測をしつつ書き進めていく。

 

 

 

いや、本当に私はコミュ障なんだ、ということを理解してもらいたい一心で、私はコミュ障ですがよろしくお願いします、と挨拶をするし、自己紹介とかでも、言わなくてもいいのに言ってしまう。だって、中学高校と自分の友達になりたい人とは結局友達になれなかったし(それでも友達になってくれた人たちには感謝しなきゃダメ、本当にありがたい限り)、卒業したあとにまた会う、っていう友達っぽいことが全然できないし思いついたって持ちかけることができない。趣味が似ているなあ、と思っても「趣味が似てますね!」とも言えない。もしもその話を持ちかけることが出来たら、絶対に両者が得をするような趣味の合致であっても、その敷居を踏み越えることがどうしてもできないままここまで来てしまって、今でもそうだったりする。

 

相手が男性であっても女性であってもこうなってしまうのは同じで(これは自分が自分のことを絶対的に男性である、と思っていないからなのかも知れないけれど)、自分を伝えるということがどうしても苦手になってしまう。こうやってブログをたくさん書いて自分をだだ流しにしているのにも関わらず、その人が実際に目の前にいると自分は固まってしまう。単なる人見知りとも言えないような複雑さがあると思う。

 

アルバイトをしているときもそんな感じがずっと続く。今では「仕事をしているんだから」という風に自分を騙して?コミュニケーションを取る、ここがわからないんですが、これ落ちてましたけどあなたのですよね、先にカウンターのお客様から対応してください、業務連絡をするのだって、それが先輩でも後輩でも社員であっても、なんだか話しかけるのが難しく、大事になるぞ!いいのか!!と自身に問いかけ続けることでやっとこさ話しかけることができる、そんな感じでつい最近までやっていた。

 

だから、バイト先で食事や飲み会、なんてそんなの地獄じゃないか、そういう気を使いながら、自分と対話しているのか目の前にいるバイト仲間と楽しんでいるのか判別できない飲み会なんて意味がないじゃないか、と、何かに理由をつけて断っていた。何回も断っていたので、自然と誘いは来なくなった。客観的に見ればあまりよろしくないことなのだが、私にとっては好都合だった。

 

数年前にバイトを辞めるとき、あろう事か「ぞ!さんのお別れ会」なんてものが企画されてしまった。業務中も仕事以外のことをろくに喋っていないのに、何を期待しているんだろう、と、色々を通り越して怒りが沸いてきた。きっとこの人たちは、お別れ会なるものを大義名分にして飲みたかったんだ、いろんな欲望を叶える機会を私に押し付けたんだ、と理解することにした。もしかしたら本当にお別れ会を開いてやろう、と思っていたのかもしれない。

 

結局その件については、バイトを辞めたあとなのに、忙しいですから、と避け続けた。変な話である。それでもやっぱり連絡が来るので、申し訳ないがLINEをブロックしてしまった。電話番号やメールアドレスを変更する必要がなかったので、SNSって便利だなあと感じた瞬間ベスト3には食い込んでくるだろう、とか呑気なことを当時は考えてはいたが、ブロックする理由には値しないよなあ、もうあの店周辺500mには近づけないよなあ、と後悔もしている。皮肉にもSNSの功罪を表すことになってしまったのである。

 

そんなこんなで、私は人見知りという枠には収まらないようなコミュ障である、ということを伝えたい、というのが初めてあった人に対する義務だ、という習慣がなぜかついてしまっていた。先に人見知りだということを伝えておけば、後で挙動不審な行動をとっても、コミュ障という言葉が盾になってくれることを期待しているのである。

 

自分の行動に辻褄が合わないなあ、と思いつつ書いているが、自分はこうすることで防衛を果たしていた(と思い込んでいた)のです。

 

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「わたしなんてひんそーでちんちんくりんで……」発言もこんな感じなのかも知れない。とか思った。

 

 

で、最近例のごとく「コミュ障です」と言ったら「嘘つけ」と言われる事例が増えてきたことについて。

 

 

 

ひとつ思いつくことが、コミュ障という言葉が扱われる場所にあるのではないか、ということだ。

 

私にはコミュニケーションに問題が発生しない場面が幾つかあって、ひとつは親しいひとと接しているとき、一つはコミュニケーションをふんだんにしていいですよ!と許された場合である、という分類ができる。

 

前者に関しては、まあなにも言うことはない。問題は後者にある。これがこの言葉に関する齟齬をややこしいものにしているのであると考える。

 

私は、よし、コミュニケーションをしようと意気込むとテレビのMCみたいな口調になったりする。いつもの喋り方で話すことはできないが、しっかりと話すことは困らない。ここに関しては仕方のないことである。しかしなんだかんだでしゃべりたいことを喋ることができる。

 

おそらく、そういう場面を見てもらっているので、コミュ障宣言に対する疑問が湧き出てくるのであるのだろう。そのとき、私としては、いや、確かに喋っているけども、ホントはもっと違う喋り方だし、ホントはもっと喋れないし……ということを言いたいのだが、考えてみれば、相手はその「ホントは」を知らないわけだし、コミュ障なんてお冗談を、と突っ込みたくなるのも妥当な感情であるということがわかってくる。

 

「形式」。これを与えられると、話すことに苦労しなくなるのだ、とひとまずの結論を付けたい。ワークショップ、グループディスカッション、ゼミ、講義、ミーティング、アイスブレイク……こんな感じでゲーム形式を与えられて、その中で、テーマを限定された上で話してください、という指示を出されると、何を話せばいいのかということが明確だし、話す目的がはっきりしているし、話しやすくなるのだと思う。そして、そういった形式のある場所が他人よりも比較的好きだから、いや、実はコミュ障なんですよ、ということをいったところで聞き入れてくれない、というオチになるのだ、ということ。

 

だからといって、私が晴れてコミュ障から脱却できたとは微塵も思っていない。ワークショップ作りやファシリテーションが好きであることの理由も、「形式のある話」が自分にとって心地いいからであり、会議やその他の場面に形式を入れることで円滑なコミュニケーションが可能になるこれらの技法をちょこちょこと勉強している理由にもなっている。

 

だから、反対に、自分たちで話題を創造しなければならない場面、ただのおしゃべりだったり、昨日何があったとか、恋の話とか、あいつがどうだとか、そういうプライベート感があって、どういう風に話がころがってもいいですよ、という条件じゃないような条件を言い渡されると、これがびっくりするくらいに全然乗り切れないのである。その話自体がつまらないというわけではないし、ひとりであったらこういうふうに同様の「特に条件のないこと」をブログを通して書いているのだから、形式がないことに困っているわけではない。ただ、相手がいるとどうも出方がわからないのである。

 

ワークショップの企画をしたりミーティングの流れを汲んだりするのは大好物だが、単純な遊びの予定や、デートの順番などを立てるのはものすごく苦手である。わけがわからない、とさえ思ってしまう。こういうこともコミュ障のひとつだ。

 

プライベートな空間にファシリテーションは必要ない、ということには賛成できる。ただ、細かい話をさせてもらうと、ファシリテーション「スキル」は必要ないし、会話のすみずみまでマインドマップ化されたらそんなファシリテーターとは話をしたくないと思ってしまうだろう。ただ、ファシリテーション「マインド」、つまり、聞き方、話し方、といった部分では私的な場面でも役立つことがたくさんあるはずだ、ということを考えている最中だ。プライベートにおけるコミュ障は治りそうもないので、自分はその分類をぐちゃぐちゃにしてしまうことが最善策なのではないか、と考えているのである。

 

自分で書きながら、こいつどうしようもないな、と渇いた笑いを出す。そうでもしないとやってられない部分がある。

 

そんなこんなで、コミュ障という言葉には捉え方によって大きな違いがあると思われる。

 

①プライベートな空間・条件のないコミュニケーションにおける苦手意識

②形式のある空間・会議、ワークショップなどの目的あるコミュニケーションにおける苦手意識

 

こういう分類が出来て、その中で私は①に関してのコミュ障だということだ。しかし、世の中には①は滞りなくできるのに②が苦手である、という人もたくさんいるだろう。

 

まず、「コミュ障」という単語を聞いたときに、それはどっちなのか?ということを認識する、または分からせてあげる、ということが、コミュ障脱却への第1歩になりうるのではないか。

 

 

 

自分の性格が面倒くさすぎて笑える。

 

 

 

*  *  *

 

読んでくださりありがとうございました。

 

 

 ↑読んでみたい。

 

飲みの席には這ってでも行け! 人づき合いが苦手な人のための「コミュ力」の身につけ方
 

 ↑やだ。うっせえバーカ。

 

 

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