【本紹介2】何か一つに絞るなんてしなくていいことを証明しているひと 『働く男/星野源』(マガジンハウス)
トピック「就職」について
訪問ありがとうございます。
(どうでもいいことですが、ブログのデザインを変えてみました。シングルカラムかっこいいよねーって感じで前のテンプレートを使わせていただいていたのですが、やっぱりわかりやすい方がいいかな、ということでシンプルにしてみました。文字が小さくなった、と思われるかもしれませんが、長文が大体を占めているブログなので、いっぺんに文章を見渡せる方がいいのかな、と考えたためです。ご了承下さい。過去記事は一部大変見づらくなっています。)
↑とはいっても、スマホから見ている人はほとんど変化がないのでわからない話だと思います。
さてさて、大学の夏期休暇が明けて(あんまり実感ない)、最初の記事です。気合入れましょう!
今回紹介する本はこちら。ジャンルを何にしたらいいか判断に困ってしまう一冊です。
働く男/星野源(2013、マガジンハウス)
なんで困るか、といいますと、本の中身が(本人も言っていましたが)「星野源説明書&攻略本」というべき、星野源に関するものをごった煮している!という構成になっているからです。
自身の映画評論コラム集や、星野源年表、写真もたくさんあったり、音楽関係の作品、出演作、これを読めば星野源がだいたい何やっているか、ということはわかる、という内容です。
これを言ってしまうと、なんだそれ、ただのファンブックじゃないか!そんなもの紹介しやがって、サブカル女子か!!!なんて言われそうです。……っていうのは偏見がすごくなっちゃっているのですが。
……まあ、そんな簡単な本じゃないんだよ!この本は!ということを主張したいので、星野源のエッセイでもなく、これを敢えて選んだ、ということなのです。
突然ですが……
突然ですが、みなさんは、自分の進路や仕事に悩んだとき、こんなことを言われた、または考えたことはありませんか?ということを聞きたいです。
「やることを一つに絞りなさい」
↑って言いそう。
やりたいことはこれとこれがあって、でも得意とか不得意とか考えるとこれとこれも候補にあがってきて、でも、親の仕事を継いだりするかもしれないし、自分の希望する仕事は母数が少ないから希み通りにできる保証はないからここらへんの無難なところも念頭に置いていく必要はあるよな……という具合に、自分の可能性をあげたら基本的にキリがないと思います。
このことは、「偏愛マップ」を描くと明らかになってきます。自分の好きなもの、興味のあるものをとにかく描いていくユニークな自己紹介法ですが、自分の好きなもの、または自分を構成しているものってこんなにばらばらで多様なのか、ということがわかってきます。人間って複雑です。当たり前ですが。過去記事でも紹介しています。
もちろん、人の中には自分の進路がはっきりしている人もいます。子供の頃からエースピッチャーだから、当たり前のように、将来はプロ野球選手になることを考えている人だっているでしょう。電車が大好きだから当然のように運転手になるんだ、と心に決めている、または決めていたひともいるはずです。そして、その通りに進路を決めたひとだっているはずです。
しかし、その人数は、先に挙げた「あれもこれもしてみたい」ひとたち、および「何をしていい/したいのかよくわからない」ひとたちの人数には敵わないのではないでしょうか。推論ですが、自分の道をしっかり決めた人が沢山いたら、このような社会状態にはなっていないのではないか、と思います。
ほとんどのひとは、就職とかそういうタイミングが近づくギリギリになって自分の性格を無理やり職種や業種とかいう大雑把で不確定なジャンルの「箱」に押し込み、かろうじて社会に出て行っているのだと思います。遅刻寸前、朝ごはんの食パンをくわえて走る女子高生のように、です。女子高生の場合は、誰かとぶつかればそれが運命の出会い……!なのかもしれませんが、新社会人にとっては、曲がり角で衝突することは、すなわち早期の辞職、退職、転職を指しています。慌てて出て行ったから、言わんこっちゃないですね。
だから、そうならない対策として、早いうちから「一つに絞る」ことは推奨されていて、自分自身も「遅刻」しないように早めに決めなきゃ、という悩みに陥ってしまうのです。それで、野球選手になるんだ、とか言ってるクラスメイトを妙に妬ましく思ったりしてしまったり。大学の学部選びだって、何をしたい、ということが決まっているほうが有利に出来ていたりします。私は自分を絞ることができず、総合政策といういまでも何をやっているのかはっきりしない(というか、そもそも大学側が何をするところなのか、ということを明言できない学問分野)コミュニティに入ったので、「絞る」ことを順延している、というのが現状です。情けないことかもしれない。
そうやって、自分の進路、ベクトルが「早いうちから決まっていること」がイコールで良いこと、という風な概念はしっかりと出来上がっているのですが、そんなことはないんじゃない?というのが私の考えだったりします。
私が考えていることとしては、敢えて「絞る」ことをせずに、自分がその都度その都度感じている、やりたいと考えていることを素直に表現して、その結果それが仕事という風に成立すれば、こんなに素晴らしいことはないだろうな、という、ともすると上半身が理想論に浸かっている、とっても甘い考えです。甘いということは自分でも認めざるを得ません。それでも、それが出来たらそれは素晴らしいことじゃない?ということはハッキリ言いたい。
そんなことはできないじゃないですか、出来ないから自分の進路をしっかり考えなきゃいけないんですよ、という反論に対しては、そもそも、「絞る」ということの弊害を見ていないからそんなことが言えるんじゃない?ということ。
「絞る」ということは、自分のなかにある多くの「やりたい」「できるかも」「面白そう」という感情に対して、でも、絞らなきゃいけないんだよね~、という言い訳をつけて、可能性を消去しているようなことなのではないでしょうか。そんな消去法的な方法にどうしても見えてしまうから、私にはどうしても絞るということができない。本当にやりたいことにであっていないのでは?ということも背中合わせで存在しているのですが。
(自分の可能性を「歌うこと」に絞り込んだアニマス一話の千早。様々な経験をつみ、劇場版では芝居にも前向きに取り組むようになっていく。)
そして、今自分の中にある「やりたい」「できるかも」「面白そう」といった感情は、時期によってその序列を変えていくもの。「未来の野球選手」じゃない限り、興味なんてコロコロ変わって、また戻って、っていうのを繰り返していくのです。マインドマップにこれらの感情をバラバラに蒔いたとしたなら、あるときは感情Aが大きくなっているからそこに従って、あるときは感情Bが俺だ!俺だ!と言っているから、はいはいしょうがないね、ということでその願望を私自身が叶えてあげる。そしてC、D、と続いていって、その順番もバラバラに様々な願いが立ち消え、立ち消え、入れ替わっていくのだと思います。
現に私のブログはそういう風にできています。中学生・高校生のときは作詩を公開していくために始まっていました。今はどこにあるかわからないのでその目的は果たせませんでしたが、ノートに書くと親にバレてしまうから、ブログにすれば身内に見られず、知らない人に見られるなら比較的問題はないかな、という感覚がありました。結局、紙に書く質感に負けて、親にも見られっぱなし、クラスメイトにも見られていたのですが(どうしても、見て欲しい、評価して欲しいという感情が勝ってしまっていたから。いつだって割と単純に動いていたのです)。
そして今現在は、作詩だってするし、落書きを書いたり、自分の好きなものや読んだ本、見たもの、してきたこと(イベントやワークショップ)、文句をバラバラに書いている。まさに、ブログという大きなマインドマップがあって、毎回の記事で全てを語ることなく、一つ一つなぞっていった、という感じで構成されています。こんどインタビューの記事を書きます。
ブログのこういう構成にしたって、読み手の見やすいものをつくる、ということを考えたら、コンセプトをハッキリとさせて、読み手のニーズを明確にすくい上げていく構成のほが絶対に好まれる、ということはわかっています。それでも自分の場合、自分というコンテンツを出し続けて、大人数よりも少人数にわかりやすく評価されているほうが幸せだったりするのです。
自分の職業を売る、というよりも、自分という存在自体で商いを出来たらこんなにいいことはない、心の半分以上では無理だろ!と思っていても、未だに諦められなかったりします。だから今でも「絞れ」ない。
「絞らない」星野源はとてつもなく輝いている
やっぱりこんな甘いことを言っているのはバカバカしいのかもしれないなあ……ということを思っている時に現れたのが、星野源さんだったりします。はい、やっと本に触れることができます。お待たせしました。
星野源のプロフィールを見てもらうと、「音楽家、俳優、文筆家」とあって、HPにはこんな風に続いています。
1981年、埼玉県生まれ。音楽家・俳優・文筆家。学生の頃より音楽活動と演劇活動を行う。2000年に自身が中心となりインストゥルメンタルバンド「SAKEROCK」を結成。2003年に舞台「ニンゲン御破産」(作・演出:松尾スズキ)への参加をきっかけに大人計画事務所に所属。10年に1stアルバム『ばかのうた』、11年に2ndアルバム『エピソード』(第4回CDショップ大賞準大賞)を発表。12年2月発売の2ndシングル『フィルム』はオリコンウィークリーチャート4位を記録した。その後、7月発売のアネッサCMソング「夢の外へ」、4thシングル「知らない」が立て続けにヒット、13年5月発売の3rdアルバム『Stranger』はオリコンウィークリーチャート2位を記録した。活動休止中のなか、10月に発売された6thシングル「地獄でなぜ悪い」は、オリコンウィークリーチャート初登場5位を記録するなどヒット中。俳優として、近年ではドラマ『11人もいる!』(テレビ朝日)『ゲゲゲの女房』(NHK)、舞台『サッちゃんの明日』(作・演出/松尾スズキ)などに出演。12年に『テキサス -TEXAS-』で舞台初主演。13年は初主演映画『箱入り息子の恋』、映画『地獄でなぜ悪い』(園子温監督)、アニメ映画「聖☆おにいさん」(声の出演・ブッダ役)に出演し、第5回TAMA映画賞最優秀新進男優賞、第35回ヨコハマ映画祭最優秀新人賞、第37回日本アカデミー賞新人俳優賞、第68回毎日映画コンクール スポニチグランプリ新人賞を受賞した。また、代表を務める映像ユニット「山田一郎」が制作したSAKEROCKのMV『ホニャララ』はSPACE SHOWER Music Video Awards 09のBEST CONCEPTUAL VIDEO賞を受賞。そのほか、作家として著書『働く男』『そして生活はつづく』を刊行。これまでの連載にGINZAでのエッセイ「銀座鉄道の夜」、テレビブロスでの細野晴臣との対談「地平線の相談」、POPEYE「星野源の12人の恐ろしい日本人」、MUSICA「精なる日々」、ダ・ヴィンチ「星野源のだまって俺について来い」など、レギュラーラジオ番組にJ-WAVEの深夜番組「RADIPEDIA」、NHK-FM「星野源のラディカルアワー」がある。
SAKEROCK / ホニャララ MusicVideo - YouTube
簡単に言ってしまえば「多才」であり「多彩」。メジャーになったきっかけはやっぱり映画・ドラマといったところなのかもしれませんが、ずっと前から音楽家としてソロ・またはインストバンドとして浜野謙太(ハマケン)などのメンバーと「SAKEROCK」(星野源は下戸なのにSAKE)として活動していたり、NHKのコント番組で内村光良と共演していたり、舞台でも活躍していたり、こうやってエッセイも書いていたりする。ラジオでも喋っていた(ついこの前終わっちゃった!)し、この人はいつも働いしているなあ、というタイトルの印象がまさにピッタリな人物です。
そして、それらのどこを突っついても彼の存在感は凄まじいものがあり、手を抜いていないんだなあ、ということをハッキリと感じさせてくれます。
星野源×:花澤香菜 対談トーク!番組「 LIFE」、音楽の話、新曲『Crazy Crazy ...
そんな彼も、人生の中で度々「絞る」ことを提案されていたそう。学生時代から演劇や音楽に没頭していたため、その両方で業界に出ていくということは単純に考えても二倍の労力が必要だったはずです。そして、星野源は本書の「歌う男」「書く男」「演じる男」というそれぞれ二ページずつの短い文章で、「絞る」という圧力に対しての回答を述べています。
……そうやっていつの間にか、オリジナルを作るようになりました。
二十歳になってようやく自分でメンバーを集め、
初めて組んだバンドがサケロックです。
声に自信がなかったので、ボーカルのいないインストバンドになりました。
趣味だったものが、どんどん仕事になっていきました。
……歌が下手でも、大事なのは「歌う」ことだと。
声に自信がなくても、歌心があればいいんだなと思えるようになりました。……
(「歌う男」より)
星野 源 - くせのうた 【MUSIC VIDEO】 - YouTube
きっかけはただの憧れです。文章がうまい人に憧れていました。
ペン一本で、壮大な物語を創り出したり、
ペン一本で、腹がよじれるっくらい爆笑できるエッセイを書いたり、
そういう人にずっと憧れていました。
だったらやるしかないと。
「星野くんに文章の才能はないと思うよ」
といろんな人に言われましたが、そんなの関係ねえと奮い立ち、
誰にも見せないエッセイや、小説を書きまくりました。
……その後、400字の連載をもらえるようになり、
その6年後、2000字のエッセイ連載が始まりました。
それがまとまり『そして生活はつづく』という本になりました。
今でもずっと修業中。でも書いている間はすごく楽しい。
ずっと憧れていたことが、仕事としてやれいているわけですから。
才能があるからやるのではなく、
才能がないからやる、という選択肢があってもいいじゃないか。
そう思います。
いつか、才能のないものが、面白いものを創り出せたら、
そうなったら、才能のない、俺の勝ちだ。
(「書く男」)
……そして、高校2年生のときに松尾スズキさんと出会い、
6年後、大人計画事務所に所属することになりました。
「僕は音楽もやっているんですが、それでも大丈夫なんでしょうか?」
所属となった以上、今後は役者に専念すべきかどうか、
社長の長坂さんに訊いたらこう返ってきました。
「そっちの方が面白いじゃない」
それまで、いろんな人に「やりたいことは一本に絞れ」と言われ続け、
でもやるんだよ!と突っ張ってきた気持ちがやっと許された気がしました。
どっちも続けていて、本当によかった。
書くことと同様、高校生のときから、
「星野くんに役者の才能はないよ」と言われ続けてきました。
でもやるんです。好きだから。
自分を解放してくれた、生きさせてくれた、演技というものを、
これからもっと追求していきたいと思います。
いろんな作品で生きていけるように、頑張ります。
(「演じる男」)
星野源/大人の新感線「ラストフラワーズ」メッセージ動画 - YouTube
幾つもの「自分」を表現しようとして、普通ならそこで「絞る」ことを利口にしてしまいそうなところで、星野源は「いや、全部やるのが自分だ」と推し進めていきました。そして今私たちの前でおちゃらけいているあの星野源に繋がっているというわけです。なるほど。なるほど。
星野源の姿勢は、「絞らない」で生きていくことの可能性を見出して、それを証明しているという点で貴重な証拠としても残っていくかもしれません。「何かひとつに決めなさい」と言われたら、夢見るみなさんは「いや、源さんがいるから!」と言ってやればいいのだと思います。
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余談:「絞らない」生き方は、もっと楽に出来るようになる
そんなことを言われてもやっぱり、「絞らない」なんて難しいよ、それだって一部の人に許された権利なんじゃないか、なんて言う人がいると思います。
許された権利!!
- アーティスト: BUMP OF CHICKEN,藤原基央
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はい、ごめんなさい。
でも、これからの時代を見通してみると、「絞らない」、つまり自分自身の自分っぷりをコンテンツとして見せていく、立ち回っていくという生き方はもっと簡単に出来るようになると思います。
それが、Facebookなどの実名SNSの発達による個人化、個人社会化です。個人同士が簡単に繋がるようになる社会では、それと同時に組織という枠組みの強固さがだんだんと衰えていきます。現に企業を見てみても、年功序列はよっぽどでないと達成されず、会社という閉鎖社会、そして、従業員が会社のために生きるんだ、という気概は段々と薄れていきます。なぜなら、会社は保証してくれないから、自分で自分を守っていかなければならない。日本におけるワークライフバランスの旗手である小室淑恵さんも、ワークライフバランスは会社と生活の相乗効果、ずっと会社にいるよりも、休みがちゃんとあって、その時間に自己啓発や勉強ができる環境が望ましい、ということを言っています。生活のほとんどを会社に捧げていたちょっと前の社会は、もう歴史になりかかっている、という訳です。
そして、個人がわかりやすくなった社会。SNSによって、名刺をもらうよりその人のアカウントがわかったほうがよっぽど情報がわかるし、人柄もだいたい分かってしまいます。そして、名刺は「組織」を先頭に持ってくるためには格好のツールであり、組織人として生きるシステムに適していたのですが、SNSがあるから、もう名刺なんていらないんじゃない?名刺ってただの儀式じゃないですか、という意識が段々と広まってきている。私も名刺を作っているけれどよくわからないまま使っているのが現状です。
そうやって異なる組織やコミュニティにいる個人同士がいとも簡単につながってしまうから、あれやりません?とか、あんなことしたら面白くないですか?という提案が、組織を通すことなくサッと繰り広げられていく。それぞれの会社には後で言えばいいだけの話です。だから、個人の趣向とか興味とか、そういう感情がダイレクトに表現できるような世の中になっていくのではないだろうか。
もっと話を広げてしまうと、組織ではなく個人がどんどん顕になっていくのではないでしょうか。今までは「私はこの組織の人間として~」とか、「○○県民として~」とか、さらには「日本人として~」というふうに、自分の考えではなく、そのコミュニティやカテゴリを代表として、カテゴリとしての意見や立場を考えていたような気がしますが、きっぱり「私個人として~」という主張ができるのではないでしょうか。いつになるかはわかりませんが、個人の存在感がどんどん増していって、そんな時代がいつかは来るような気がしています。それはそれで大変そうだけど、どんな組織にも馴染めない私にとっては好都合だし、常にやりたいことを実行していく星野源にとってもそれは住みよい社会かもしれない。いや、星野源はどんな環境であっても自分を持っているから、外部の状態は関係ないかも知れないな、流石だ。と勝手に感嘆していたりします。
※ここらへんの話は、佐々木俊尚『自分で作るセーフティネット』から借りています。まあこの本、びっくりするほどデータやエビデンスに欠けちゃっているんですが、その分寝っころがりながらでも読める気楽さはあります。読書メーターのレビューがそんな感想で埋まってます(笑)
読んでみた感想としても、IT入門というのはほぼウソです。
自分でつくるセーフティネット~生存戦略としてのIT入門~ 感想 佐々木 俊尚 - 読書メーター
長くなってしまいました……
なんだかダラダラと書いてしまったような気がするので、そろそろ締めます。
(夏みたいに毎日書くからペース配分!みたいなことを考えてないので、かけるうちにたくさん書いちゃおう!って感じです。良くないような気がする。)
源さんに限らず、一つのしごとに限らず様々な領域に「自分」を持ち込んで活躍しているひとに惹かれていたりします。自分はこれこれこういうことをする人だから……というのは、自分の枠を自分で勝手に作ってしまっているようで、面白くありません。その時に出来ること、できそうなことをどんどんやって言ったらいいじゃない!という軽いフットワークがカッコイイと感じます。
軽いフットワーク、ということで言うと、知り合いの学生には日本や海外を軽い足取りで渡り歩くひとびとがよくよくいたりして、それも羨ましいです。私は出不精なので、家を出るのも精一杯なので。関西にいて翌日は東京にいます!なんてことを投稿していると、「お前は急行周遊カードでも持っているのか?!(桃鉄やってないひとごめんなさい)」と突っ込みたくなるくらいびっくりします。でも、それは彼らにとってそんなに大した出来事ではなかったりするから、これまたびっくりします。
(「桃鉄」みたいなすごろくゲームに例えれば、私みたいなのは常に一個のサイコロで挑むのに対し、フットワークの軽いひとびとはサイコロを二個にも三個にも増やして参戦してくるので、やっぱり羨ましいです。)
そう考えると、やりたいことをやる、という気概ももちろん大切ですが、その願望を素早く、ハッキリと表現するような行動力というのも大切なんだなあ、という部分にも気づいてきます。私にはこれが欠如していたりする。思っていてもそれを実際には……という壁を感じる人は多いはずです。
「自分を絞らなくてもいい、というのは分かった!でも、どうやって自分の様々な部分を表現していけばいいのだろうか?」というのが次の問いになってきます。俺だって、私だって源さんみたいに実際に出来たら苦労しないよ、ということ。この部分で立ち止まって、または引き返してしまった、なんて人も多いのではないでしょうか。かくいう私もそこにいたりする。
ただ、この問いに対しても源さんは何かしらのアンサーを持っているはずだし、どこかにそのアンサーを放出しているはずです。アンサーといっても、全てのひとに当てはまるような代物では、もちろんないのですが。再び彼の足あとを追うことになりそうです。
とにかく、自分を絞りこむなんてとんでもない!自分を作る全てを尊重して、大切にしていこうよ、という主張がわかってくれれば幸いです。
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読んでくださりありがとうございました。