Yuigo・ん・・・湿っぽい

モルック、システムエンジニア、その他趣味。大学生のころから使っているので、昔の記事は恥ずかしいし今の思想とは異なっていることが多いです。

ブームは「廃れる」のではなく「落ち着く」と考える

 

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 著作者:Vector Open Stock 

https://www.vectoropenstock.com/vectors/preview/74556/social-networks-interaction-concept

 

 

何とは言わないが、ニコニコ動画において「○○はなぜ廃れたのか?」という類の動画のタイトルとサムネイルが目についた。そのジャンルについては門外漢だし興味もなかったので中身は知らないが、なんとなく、「廃れた」というニュアンスが違うんじゃないか、と感じた。言いたいのは、廃れたというよりは、正当な評価に「落ち着いた」のではないか?ということだ。

 

ネットを使って何をしていますか、と聞かれればニコニコ動画の話をしなければならなくなる。結構な時間をこのサイトにつぎ込んでいると自覚している。それが良いことでもあり悪いことでもあるのもわかっている。それ自体は今日の問題ではないので特に広げない。

 

   

 

局所的な趣味の集まり

ニコニコ動画というのは、生放送や他のフィールドを含め、ありとあらゆる「局所的な趣味」が集合した場所だと思っている。局所的な趣味だから、いくらニコニコという場所が同じだからといって、じゃあどんなジャンルの動画やコンテンツも観ましょう!摂取しましょう!という風にはならない。局所的なので、それぞれのジャンルはそれなりに知識や元ネタの把握が必要である。具体的に言うと、自分はアイマス動画とスポーツ動画くらいしか最近は観ていない。アニメは1クールに2、3つ、ゲーム実況は色々と放送をしたり自分で動画を作っていくうちに余計な感想が浮かぶようになってしまい、新しい動画は殆ど観られなくなってしまった。古いものを自分で探して観るくらいである。他のジャンルについては、それに対する元々の見識が薄いためか、楽しむに足りていない。

「局所的な趣味」というのが今回における前提である。昔はマスコミが握る力が想像以上に大きいものであった。人々は自分で色々と調べて趣味を探す、なんてことが許されていないといったら大げさだが、インターネットが無いことを考えると相当大変なことだったのはなんとなく分かる。その代わりに、テレビやラジオ、誌面といったメディアが影響力を持っていた。だから、マスコミが○○を流行らせようと思ったらなんとかなってしまっていたのだろう。その名残は、今のマスコミが持つ姿勢にも感じるところである。そんなわけで、インターネット以前、情報化社会以前は人々の趣味はある程度まとまっていた。

しかし、もうそういうわけにはいかない。個人は自らの手によって自由に調べることができる。自由に情報を探すことができる。そのため、趣味の選択肢は膨大に広がりを見せる。

 

自分(たち)が満足していれば構わない

更なる変化として、これは誰もが細かく様々な趣味を持つようになるから、自分の趣味が世の中において人気を得ているか、それなりの地位を築いているかということを気にしなくなっていくだろう。すでにそういった態度に変化している人は多いし、増えていくんだろうというのを、直感的ではあるが抱いている。私の例では、インディーゲームである「Crypt of the NecroDancer」に熱中してしまい、配信や動画作成をするきっかけになり、プレイ時間の600時間程度に加えてもっと、自分の時計を回している趣味となっている。このゲームをプレイしている人の中には、これがゲーム界においてもっともっと流行るべきだ!と考えている者もいるかもしれないが、自分としてはそんなことを考えていない。ハマる人だけがハマればいい。別に1位とかそれに近い位置になる必要は無いと思うし、プレイしている人間の満足感というのが最も重要であるという姿勢で接している。趣味が局所化した現代において、小さなコミュニティにおいて楽しめることが出来ていれば、それ以上のことはない筈である。

 

 

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ブームは「異常」である

こういう前提の上で、現代において発生する「ブーム」というものは、ある種の異常現象なのだという認識をするようになった。

別に、ブームが起こってはいけない、というわけではない。珍しいもの、インパクトのあるものに出会えば、誰しもが気になるし、熱中するだろう。だから、そのコンテンツの力以上に評価されたり持て囃されたりするのは不自然なことではない。ただ、例えば10という評価を持っていたものは、ブームにおいては20や30、もっと大きいものとして扱われることもあり、正当な評価ではないことは確かである。正の方向の異常と考えていい。インパクトによるショックに判断が難しくなっていたり、後追いのマスコミによって押し上げられもする。これは面白い、素晴しいと言わなければならないという同調圧力の存在も、場合によっては考えられるかもしれない。

そして、評価は時間が経てば見直されるものである。しかし、支えるものがなくなり誰からも見捨てられるというわけではない。正当な評価に戻るだけである。もちろん、その正当な評価が0に近いようなものであれば継続して好きで居続ける人間はいなくなるかもしれないが、ほとんどの場合はそういうところまでは行かないので、ちゃんと評価している人々はそのコミュニティに残ってくれる。そういう人たちが、ブームが過ぎたものとかそういうことを気にせず、自分たちの満足感を保てていれば、あまり問題ではない。いずれ落ち着いたものになるからである。

これを廃れたと表現するのは少しずれているのではないか。ずれているのではなく落ち着いたのである。ブームの始まり、そしてその終了からという順番は、そのコンテンツがあるべき姿に近づいていく過程だ。悲観するようなことでは無いと思う。悲観しているような人間がいたら、彼(彼女)はコンテンツ自体ではないところに魅力を感じていたのかもしれない。それは当人のためにも見直したほうがいいと思う。

 

相変わらず曖昧な話をしてしまったが、自分の言いたいところはこのくらいである。

 

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